努力より態度
大学院というところは、若い人に今まで経験しなかったような努力を要求するところなので、たまに、自分としてはこんなにがんばっているのに、と逆ギレのような反発を買うことがある。
そのたびにその「がんばる」という言葉に違和感を覚えてきたのだが、よく考えてみると、それはあくまで自分の経験比の主観的ながんばりなのだ。
だいぶ前の話だが、ある若くして成功した人が、何で日本ではがんばっている人がえらいということになるのだと嘆いていたのを思い出した。彼は、がんばらずに成功しているように見える人に嫉妬が集まる雰囲気にさんざんさらされて嫌気がさしていたんだろうと思う。神様が世の中の人の(主観的な)がんばりを見て、相応の報酬を与えてくれて当然だと思っているかのような雰囲気に。
人によって生まれつきの能力の差や境遇の違い、運不運はもちろんある。でも、自分のがんばりは大きく見え、他人のがんばりは小さく見えるものだ。それに、同じことをするのでも、やり方次第、知恵次第で実際に投入する労力は全然変わってくるはず。楽々成功しているように見える人も、客観的に見れば、それ相応の労力と知恵を投じてきたのかもしれない。自分がうまく行っていないとき、調子よく行っているように見える他人を羨むのはまあ人情というものだが、そういう嫉妬心は過ぎると自分自身を蝕んでいく。
ずいぶん年月が経って、その人がどこかで、才能はないけれど常にただひたすら愚直なまでに努力することで何者かになるアニメのキャラクターを好きだと書いていたのを読んで、彼も変わったものだなあと思った。でも、そのキャラクターは、自分はこんなにがんばっているのに、と逆ギレすることは決してない。アニメの話だけど、常に自分にとって最大限の努力をするという態度こそがそのキャラクターを大きくしたのだ。
努力が主観的ながんばりと混同されるぐらいならば、努力なんて大事ではなくて、態度が大事なんだと言ってしまおう。何もアニメのキャラクターみたいにひたすら驀進しなくてもよいが(むしろ大学院生だったら頭を使って欲しいが)困難に対して真摯に向き合う態度こそが大事。












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