75 posts categorized "韓国生活"
2008.05.27
2008.03.04
帰国
本日これから帰国する。
ここ1週間、韓国で縁のあったたくさんの方々に会い、別れを惜しんだが、昼夜昼夜という感じで会食が続いて書いている暇がなかった。帰国してから改めて回想しようと思う。
最後に私が別れを惜しんでいるのは冠岳山。
ソウル大学は冠岳山の麓にあり、キャンパスの奥に行くと頂がずいぶん迫って見える。暖かい季節には、キャンパスの奥の芝生でこの山を背景に、国楽をやっている学生たちの練習する古い楽器の音が響き渡ってそれはそれは幻想的だった。
この頂上の塔のようなものは、私は初め仏塔か何かだと風流におもっていたが、軍事レーダーだった。そう言われてみれば、仏塔の縮尺ではない。
実は冠岳山の反対側の果川市は、政府の庁舎が集まっているので、軍事的に重要な拠点なのだ。冠岳山は中央政府の機能を空襲から守る役割を果たしている。でも、1年中たくさんの登山客が来る憩いの場でもある。
これが反対側の果川市から見た冠岳山。実は、果川市は、私が踊りを習っていたところである。
つまり、1年間のこの山にずっと見守られていたのだ。
2008.03.02
1号
帰国前日は、ばたばた用事を片づける合間に、H先生に会いに行った。
前にも書いたと思うが、H先生は、私と同じように米国から訪問研究に来て韓先生に誘われて踊りにはまってしまった1号である。私が踊りを始める頃帰国されたのだが、半年後に文字通り「舞い戻って」、さらに半年滞在されている。
いろいろな事情で結局一緒にレッスンを受けたのは数えるほどだったのだが、日本語を流暢に話されるので、先生や仲間の話を通訳していただいたのが大変ありがたかった。どうもいつもついつい甘えてしまってすみませんでした。
彼女の専門は植民時代の日本語の文学で、韓国や日本にいてはかえって研究しにくいことを米国で客観的な立場から研究されていて、これからの発展が楽しみである。これから踊りの研究もされるかな?いずれにしても、不思議な縁で長いつきあいになりそうである。
愛すべき人々
日曜日は、まずリサーチアシスタントを1年間やってくれたイ・ドクチョン君とヨイドにあるメキシコ料理屋で食事をした。私は韓国に来て韓国料理はおいしいと思うのだがその他の国の料理はあまり感心しない場合が多かったのだが、このメキシコ料理は文句なくおいしかった。
リサーチ・アシスタントの二人は、日本語がうまいだけでなく、大変頭がよく、気の良い方々だった。ただ、日本に長年いてそのテンポに慣れている人とは違って、あくまで韓国のリズムなので、そこが日本人の仕事の感覚と合わなくてちょっと疲れたが・・・ま、韓国らしく、最後にはなんとか辻褄が合った。特に、辻褄を合せるときのドクチョン君のパワーは凄かった。途中、ずいぶんハラハラしたことは忘れよう。君なら会社でも立派にやれるよ。
夜は、大学院の後輩であり友達であるコォンさんとその奥様と食事をした。
昔彼が私のいた研究室に入ってきたとき、自分の趣味や興味を追求する姿(要するにオタク)に、私の韓国人のイメージがずいぶん変わったものである。というのは、それまで私の知っていた韓国からの留学生は国や大企業から派遣されていて、非常にきまじめな感じの人ばかりだったからである。それから10数年経って、年をとっても、忙しくても、オタクなところはちっとも変わっていなかった。お互い様かもしれないが。
いろいろありがとう。これからもよろしく。
2008.03.01
研究者達
最後の週末は、まず、お世話になったソウル大学日本研究所所長の韓先生のご自宅を訪問した。
昼食をということだったが、着くなり話し込んでしまい、食べたの3時頃。何を話し込んだかということ、やはり踊りの話である。
韓先生は長年の夢だった伝統舞踊をチョン・ジュミ先生の元で16年前始められた。最初の頃は純粋な楽しみで、ご自身の研究分野である社会学にリンクさせることはなかったそうだが、最近は、踊りの社会的構成のような研究をされている。日本にもたびたびいらして、在日の舞踊家のインタビューもされている。
実は私も日本に帰ったら、踊りそのものの研究ではないが、踊りを研究フィールドの一つにすることをもくろんでいる。一緒に何かおもしろいことができたらよいですね、という話になった。時々、ちゃんと練習しているかチェックしに行きますよ、と言われた。さぼっているとすぐばれてしまいそうだ・・・
夜は、3次元CAD関係の共同研究者のイム・チェソン先生、日本にいらしたころから存じ上げているイ・ヒョンオ先生、やはり日本に留学されていたハン先生の3人と食事をした。以前なら考えられなかったことだが、最近はすっかり開き直っているので、自分の踊りの動画と写真を3人にお見せしたら、大好評であった。
韓国人であっても自国の伝統舞踊を身近に接しているとは限らないようだ。サムリノリをされているイム先生はさすがにある程度ご存じであったが、イ先生は見たのもまったく初めてという感じだった。でも、日本人がこれだけ韓国の伝統文化にはまったのが嬉しいという感じで、話は大盛り上がりだった。
韓国は何と言っても市場が小さいので、芸術や伝統文化が健全に発展していくには、海外にも目を向ける必要がある、という経営学者の集まりらしい話になった。日本は、現在の韓国よりは文化的、芸術的なものに支出する余裕がある上に、もともと文化的共通点が多く本質的に受容されやすいので、よい市場であるはずである。ドラマなんかより、もっと本格的な韓流だ。
2008.02.29
2008.02.28
発表会の打ち上げ
発表会の後、グループレッスンを一緒に受けているチームで打ち上げに行った。
打ち上げと言っても年齢は40代から50代の女性ばかり、お酒はちょっと、食べ物はしっかり、おしゃべりはたくさん、あまり遅くはならないという会である。
小学校の先生2人と幼稚園の経営者、大学の先生2人という構成で、H先生以外は夫持ち、子供持ち。(学校の先生と経営者という職業は、このチームに限らずこの教室の生徒に非常に多い。見渡すかぎり先生だらけである。)
話すことは踊りの話よりも、子供の話とか、健康の話とか、夫の悪口(というほどでもないが)とか。
この日は私の最後の日なので、皆さんプライベートな少しまじめな話もしてくれた。職業を持っているだけでなく、老人介護や家族の病気などハードな生活を背負っていらっしゃる方が少なくないのを知った。普段はそんなことをまったく感じさせない明るさとバイタリティで、本当に頭が下がる。
そして、何よりこのチームの皆さんは本当に優しくて、私は言葉は通じなくてもいつも受け入れられていると感じることができ、とてもリラックスして過ごせた。
明るく優しい中高年女性は、人類の宝だとまじめに思う。
発表会の日のこと2
会場は地域の文化センターのスタジオで、結構な広さがある。お客さんは、ほとんど出演者の家族、友達、今回出演しない教室の方々。夕方ちょっと早めの時間に始まるので、勤め人に来ていただくのは無理があったのだが、私の友達が一人仕事を抜け出して来てくれてうれしかった。
最初の演目は、女性3人による三鼓舞。スタイルがよい3人の息がぴったり合っていた。
次の演目は、韓米日の女性大学教授3人(つまり、私のいる研究所の所長の韓先生とH先生と私)による才人庁基本舞クッコリチュム。韓先生の衣装は、なんと前の演目の途中で届いたのだが、全然動じておられなかったところがさすが。韓先生は踊りを始めて16年のベテランであり、格が全然違う。H先生は、訪問研究にきて韓先生に誘われ思いがけず踊りにはまってしまった一号で、私は二号。
才人庁基本舞は、単なる練習用の舞ではなく、それ自体の芸術性がとても高く、毎日踊っても新しい発見がある。私は大好きである。本番でも、丁寧に心をこめて踊れたと思う。この曲が終ったとき、見ている方がわっと暖かい拍手を送ってくださったことがことが、その後のはずみになった。
引き続き、私がアリランのソロを踊る。古典と違ってさほど難しくないはずなのに、私にはなぜだか少し苦手意識がある。でも、会場の雰囲気にのせられて初めてひとりで踊るという重圧を乗り越えることができた。
その次は、教室のベテラン弟子の方々による扇散調(プッチェサンジョ)。これは、宮廷の扇舞とは全然違い、日本舞踊テイストのある粋な楽しい踊りである。でも、とても難度が高いと思う。いつか踊ってみたい。ベテランの方々の中でも、韓先生が一番光っていたというのは、私のいるチームの一致した意見だった。
次に、私のいるチームによる、立舞(イプチュム)。これは12月の発表会で私が2度頭が真っ白になった曲。そのときは、チームの人が急に参加できなくなって急遽ベテランの方に入っていただいたりしたのだが、今日は全員揃って息もぴったりだった。チームの打ち上げのとき、これで引っかかっていたものがすっきりしたと皆晴れ晴れとした顔だった。
この曲は、星州プリという南道民謡にのって踊る。プリだから、恨を解き放つ曲だ。いろいろな想いをごおーっと包み込んでそれを開放していくという表現ができたかどうかは疑問だが、そういう気持ちで踊った。
その後、小中学生による晋州剣舞。少女らしいしなやかな動きでういういしい。音楽も素敵。
最後が私の晋州教坊クッコリチュム。風の音、土のにおい、青い空、流れる水の音が聞こえてくるような曲だ。仕上がったのが1週間前で特に後半は十分な動きができたとは思えないが、もうそんなことは関係ない。観客が集中して私の踊りを見てくれているのを感じ、エネルギーが体の底から湧き出てくる。こんな体験は初めてである。
後日、韓先生の家に伺ったときに、でももう少し楽しそうな顔で踊ればよいのに、と言われた。そこで、私は大きな勘違いをしていたことに気づいた。自然と触れ合う曲だということはわかっていたが、歌声と演奏が重々しいので、もう少し壮重に踊るものだと思っていたのだ。歌詞の内容をそのとき初めてきくと、春の陽気に誘われて楽しく野山を散歩してまわるような内容だった。次はもっと楽しそうな顔で踊ります。
発表会の日のこと1
まだうまく書ける気がしないが、踊りの歓送発表会の日にあったことを書いておこうと思う。
当日は、まず、アメリカの大学から私と同じようにソウル大学に訪問研究に来ているH先生と待ち合わせて、美容室に行き、韓国式の髷を結ってもらった。本来は真ん中わけにして固めるそうだが、きょうびはそんなことをする必要はないそうで、自然なわけ目にしてもらった。H先生が結ってもらっている間に、横でメイク。化粧を濃くするように言われていたので、自分なりに濃く。
美容室の待ち時間中に、発表会の最後にやる挨拶の原稿の校閲をH先生にしてもらった。一応、家で読む練習をしてきたのだが、直しが入ってちゃんと読めるか心配。伝わるだろうか?
人より早めに舞踊室に行くと師匠が待っていてくれた。手伝っていただいて衣装に着替え、軽く練習。
衣装の韓服(チマ・チョゴリ)がとどいたのは前日夜で、ちゃんとした韓服を着て踊るのは今回が初めて。予想はしていたがここで問題が。チマの裾さばきが練習服とは全然違うのだ。昨晩一応持って帰って朝にも練習してきたのだが、どうやったら速い動きのときチマが足にからまないですむのか、どの程度たくしあげたらきれいに見えるのか、丁寧に検討する時間などない。危ないところを覚えておいて、多めにたくしあげたり、少しゆっくり目に動こうと、自分に言い聞かせる。
結果から言うと、本番では踊った4曲のうち、一番難しい最後の1曲の一番からみやすいところはやはりひっかかった。まあ、初めてにしてはよくやったほうかも。
でも、韓服を着てよかったと本当に思う。ひとつは気持ちが全然違うということと、もうひとつは、なぜこの動きがこうなるのか韓服を着て初めてわかったというところがたくさんあったことだ。例えば、師匠はいつも、足を大きく一歩下げるとき、足を外側に軽く蹴るように回して踏み込んでいて、ああかっこいいなあと思っていたのだが、見かけの問題だけでなく、チマの裾を捌くという実用的な意味があったのである。
そのうち群舞を踊る子供たちがやってきたりしてばたばたしてきたので、H先生と会場へ。会場は歩いて5分ぐらいのところだが、雪が残っている道をチマを思いっきりたくしあげ、ダウンコートをはおり、ブーツを履いて移動する姿は人にはちょっと見てほしくない姿だった・・・
2008.02.27
心が伝わる共鳴する
踊りの歓送発表会が終わって丸二日たってこの記事を書こうとしているが、まだ余韻が生々しすぎて上手く言葉にすることができない。
踊り始めた時、この1年間の特別な時間と、特別な空気、特別な出会いを想って、ただ丁寧に感謝をこめて踊ろうと思った。1曲目が終わって、見ている人々が一瞬息を止めて、わあっと歓声をあげてくれたときに、その気持ちが伝わったのがわかった。そのエネルギーが私の中にすーっと入ってきて、次の1曲、その次の1曲と進むたびに見ている人、一緒に踊る人と共鳴するようにどんどん心が大きくゆさぶられ、最後のソロでは、周囲からもらったエネルギーが体中に満ちて、それに突き動かされるように踊っていた。
踊りが終わった後の話で、師匠は、最初私が来たときには言葉も通じなくてどうしようかと思ったが、ちゃんと通じた。心が通じていなければこんな踊りはできません、とおっしゃった(と通訳してもらった)。子供たちが、かわいい日本語で、すごく良かったと言いにきてくれた。皆さんから暖かい言葉をたくさんいただいた。
最後まで私の勉強不足で言葉は大して通じないままで申し訳なかったけれど、皆さんの心は本当に届いていましたよ。
2008.02.22
おばさんナイト
私が帰国する前に、伝統舞踊の教室で私の送別発表会を開いてくださることになっている。
私は何と4曲踊るのだ。最後に一人で踊る結構難しい踊りは発表会の1週間前にやっと最後まで終わるという状態で、韓国に来て気合い勝負なのにはだいぶ慣れてきたとは言え、これはおそらく今回最大の大胆なイベントである。本当にどうなることやら。
衣装も今回はちゃんと韓服をつくろうという話は前から出ていたのだが、話はすすまないまま旧正月も明け、これは間に合わないから練習服になるだろうと思っていたら、さにあらず。こちらではオーダーメードの韓服が1週間でできあがってくるのだ。発表会の8日前に注文して、5日後に仮縫い、前日にできあがってくるという。さすがだ。
というわけで、先日、教室の同じチームの方々と夜のレッスンの前に急遽韓服の注文をした。デザイナーが来て、生地見本を見て、色と形を決めるのだが、これがなかなかおもしろかった。
私のいるチームは、40代、50代の皆仕事を持っている女性で、いつもは大変落ち着いた雰囲気で優しい方ばかりなのだが、やはり服のオーダーメードとなると、これがよいか、あれがよいかと、皆目の色が変わる。まあこういうとき必死になるのは、どこの国でも女性として当然だ。
チームでチマの色を揃えるという話になっていて、この色だなと思っていると、話が漂流して突然全然違う色になっていたりして、本当にばたばたであったが、最終的には私としては満足できるところに落ち着いて良かった。値段を聞くと、予想の半分ぐらいで、おそらく街中でオーダーするよりだいぶ安いと思う。韓服用の下着一式もおまけでついてくるという。
ところで、おもしろかったのは実はそれからである。注文が終わって、いつもより遅く皆は練習を始めたのだが先生がなかなかいらっしゃらない。やがて先生が憮然として出てきて、何やら話し始め、途端に教室の雰囲気が今まで一度もない程とげとげしいものになった。
通訳してもらうと、こういう話であった。値段がどうも安いので、先生がこれはヨウコサン(私)が日本に持って帰るものなのだから、ちゃんと作ってねと繰り返し念を押したくれたらしい。すると、デザイナーが急に慌て出し、この値段で作るのだから安い縫製に出そうと思っていた、ちゃんと作るのならばこの値段ではできない、5万ウォン(6000円ぐらい)値上げして欲しいと言い出した。先生も皆も、一度そちらから言った値段なのだし、そもそも悪い品質のものでよいと思っていたのかと、かなり気分を悪くしたという次第である。
私としてはそのぐらいの値段の差ならば縫製が良い方がよいし、皆もそう思ったと思うが、そのままでは収まらないのが面目躍如なところである。皆簡単には引き下がらず、それならば他にちゃんとサービスしてよと要求が出始めた。ノリゲ(装飾品)でもつけてね。いや、安物のノリゲは嫌だから、他のものがいいわ。あなたの誠意をちゃんとみせてちょうだい。という感じでおばさん軍団の迫力に押されて、デザイナーの若い女性は何だか泣き出しそうな顔であった。
さてどんなおまけがついてくるでしょう。楽しみである。
ちなみに、これは地元の商店街の韓服屋さんで自分で買ってみたノリゲ。
単色のシンプルなものにしようかとも思ったが、いろいろな色が入っているとどんな色にも合わせやすくてお得ですよ、という店の人の言葉におばさんらしく乗ってしまった。
2008.02.09
2008.02.01
飽きなかった
韓国に来たばかりの頃、大学の学食は結構いける、1年後には飽きているかもしれないが、ということを書いた。現在は食事は自分で作ることが多く、利用するのは平日の昼間ぐらいだが、結局飽きなかった。
一番利用しているのは、アパートの近くの大学院寮の食堂だが、選択肢はあまりないものの、3,4百円で栄養のバランスに富んでいて、毎日のメニューはいろいろ工夫されている。うちの大学に引っ越してきてくれないものか。
今日の食事の記念写真。
2008.01.24
感情の処理様式
今日は良い天気であったが、昼の12時でもマイナス7度。室内はオンドルのおかけでいつも20度前後に保たれているので、出かける用がない日は外がいくら寒くても関係ないはずなのだが、隙あらば冷気が忍び寄ってくる感じでお腹をこわしがちである。
さて、私には韓国文化を語る資格などないのだが、DREAMS COME TRUEの古いアルバムを聴きながら伝統舞踊の表現のことを考えていて(なぜに?)、感情表現の日韓の違いについてちょっと考えたことがあったので、いい加減な内容だが少し。
ドリカムの「朝がまた来る」という曲は私は名曲だと思うのだが、これは、彼氏との関係が破局して、私はどうしようもない気持ちのままここにいる、という歌である。曲調は暗くなくパワフルなのだが、明日の朝になれば歩き出せるよという安易なメッセージではない。主人公は、明日朝がまた来てもあなたがそこにいるわけでもなく、当分私はただここに立ちすくんでいるしかない、でも、それでもいつかはこの想いは空に昇っていく、そのときはまた歩き始めることができる、と考えている。ああ、そういうものよねえと思うのだが、よく考えてみると、これはすごく日本的な感情の処理様式なのではないかと思い至った次第である。
あまりたくさん読んでいるわけではないのだが、韓国の文化について書いてあるものには、「恨」という概念が出てくる。恨は単なる恨みではなく、世の中のいろいろなどうしようもない辛い感情をぐっと内面にため込んでいる状態であるようだ。そして、そのたまったエネルギーを、「興」としてポジティブなエネルギーに変えてポンっと噴出し、さらには、もっと広大なスケールの世界に高め昇華させていく「神明」の境地に達するのだという(不正確だと思います。すみません)。このような感覚は、伝統舞踊を見ていても、何となくだが感じることができる。
朝がまた来るの主人公も同じくどうしようもない気持ちを抱いているが、それがポジティブに変換されるまで内面に閉じ込めておくというようなエネルギーを持っていない。それよりも、いつか流れる水に洗われて少しずつ消えていくだろうというような感覚に身を任せ、とりあえず今日を生きていくのである。
韓国の人はそれを内面に溜めてプラスに変換できる日まで待つというのだから、実にエネルギッシュである。やがて個人の内面を超えてもっと高次元の世界に近づいていこうとするところは共通しているが、人間も自然の一部として一体化させてしまう日本人と、天と地の間に人がいると考える朝鮮半島の人々という世界観の違いがあるのかもしれない。
常日頃、韓国の人々はいざとなったときの集中力とパワーがすごいなあと思っていたが、こういう文化様式と関連があるのかもしれない。日常の喜怒哀楽の感じ方は韓国人と日本人との間にあまり差はないと思うが、それを処理していく様式のようなものが違うというのはありそうなことである。
ちなみに、私の踊りの師匠の表現は、感情豊かで常に前向きなご本人の性格を反映して、ネガティブな暗さがほとんど感じられない。感情のエネルギーが最初から陽転しているというか。そういえば、ドリカムの吉田美和もそうだ。そこが私は好きなのである。自分と比べるのも何だが、吉田美和と私は同い年だし、師匠は2歳上なのでだいたい同世代である。世代的に通じるものがあるのかもしれない。
2008.01.19
技能の学習・伝承に関するメモ2
前回書いて以来、新しく気づいたことを書きとめておく。
これが技能の学習・伝承のデジタル支援にどうつながっていくかまだ明瞭に見えているわけではないが、きっと関係があると思う。
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今年になって個人授業をアメリカの大学の先生(H先生としておく)と二人で受けることになった。これは私にとっては誠にありがたいことで、H先生は韓国系だが日本の近代文学が専門で、日本語が大変お上手なのだ。師匠の話を通訳してもらえる!
さて、先日、師匠にイプチュムという踊りを見ていただいたとき、少し距離を置いたところで見ているような感じで踊るように、という指導があった。うーむ、初心者になんと言う難しいことを。
素人のまったくいい加減な感想にすぎないのだが、私が今まで習ったものや師匠や先輩方が踊っているのを見て、この非常に限られた範囲では、大きく分けて2種類の踊りがあるような気がする。一つ目は、人間の内面をにじみ出させるような踊りで、このイプチュムやサルプリチュムがそれにあたる。二つ目は、外に向かって開かれた踊りで、才人庁基本舞や今習っている最中のチンジュキョバン(晋州教坊)クッコリチュムがそれにあたる。
師匠の指導は、イプチュムのように人間の内面を出すような踊りであっても、きっとストレートに押し出すのではだめだということなのだ。
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何でそうなのか、今日、H先生と踊りの公演を見に行って少しわかったことがある。
今日の公演は盛りだくさんで8人の踊り手がそれぞれ多様な踊りを披露したのだが、一番良かったのはトッペギチュムという重要無形文化財でありながら普段は農業をされているというイ・ユンソクさんの踊りだということでH先生と私の意見が一致した。失礼ながら登場されたとき、まるで裏方の人が間違えて出てきてしまったような風情だったのだが、踊りが始まると自然で素朴な動きでありながら心を打つ踊りであった。
今日の出演者は皆相当のテクニックをもった方ばかりだと思うのだが、イ・ユンソクさんのように心を打つ踊りと、あまり心動かされない踊りに分かれていたように思う。帰りがけにH先生と話したことは、踊りはテクニックではないのだねっ、ということだった。
もちろんテクニックも大事なのだが、その上で人の心を打つには別の何かが必要なのだ。
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それで気づいたのは、当り前のことだが、踊りというものはそれを見ている人がいて成立するものだということだ。初心者である私は、踊っていて楽しいから踊っているのにすぎず、恥ずかしいのでできれば人に見られたくない!という気持ちは否めない。でも、踊りは本来そういうものではないのだ。
師匠に言われた、少し距離を置いたところで見ているような感じで踊る、というのは、自分のために踊っている限り決して到達できない。自分の踊りを見て感じてくれる人が存在して、その人の心を動かすためには、内面から何かを出すのだが、それを少しだけ距離をおいて制御して、観客に響かすことが必要なのだ。これは、表面的なテクニックではなくて、踊りに対する態度のようなものかもしれない。
今日の公演ですばらしい演技をした人は、表現の内容に関わらず、踊り手と観客が共鳴するような場を創り出す態度を持っていた、ということではないか。しかし、言うのは簡単だが、実現するのはすごく難しいことだと思う。ただ練習すればよいというものではないのだから。
(そういえば、のだめカンタービレも、テクニックと内的表現力は十分ある人が、観客と共鳴する場をつくるための態度を学習していくというような話ですね。)
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先に書いた二つ目の種類の踊り、外に向かって開いた踊りも観客の心に響くような態度が重要なのは同じだが、少しあり方が違うかもしれない。他の人が文章だけ読んでも全然イメージがわかないと思うが、自分のために考えたことを少し書いておく。
才人庁基本舞(タリョンチュム+クッコリチュム)は、無色透明で、表現するものが天や地や人、つまりこの世の成り立ち。すごく抽象的だ。私は勝手に、踊り手が小さな宇宙を作り出しているというイメージを持っている。
チンジュキョバン(晋州教坊)クッコリチュムは、やはりスケールの大きい世界を相手にしているが、空の広がり、風、大地といった基本舞よりは身近なものと会話している感じ。私の勝手なイメージはソッテ。
このような開かれた踊りのときは、表現する内容がそもそも「私」から少し離れている。もっと普遍的な層から観客とつながる感じだ。あくまでの素人考えで、ではどうやればそういう域に達するのか皆目わからないけれど。
2008.01.11
これから出かけるというのに
雪やこんこん。
こういう日はこれを履いていく。マイナス20度でも平気という触れ込み。
ソウル市民はこんなものは履かない。道行く人の足元をみると、雪が歩道に積もっていても、普通のスニーカーや革靴、ハイヒールのパンプスの人もいる。
雪に慣れているだけでなく、ソウルの人々は寒さにも耐性があると思う。この時期のソウルは最低気温はもちろん氷点下、最高気温も0度から上がらない日がある。でも、着ているものは東京とあまり変わらない気がする。
私は、ソウルっ子ではないので、東京では決して履かないズボン下(スパッツというのか?)着用は標準になってしまった。まあ、若い人と違って無理したら碌なことはないからね。
帰りに私の好きなトク(餅菓子)を買ってきた。大福のようなものだが、こちらのは甘味が少なくてよい。すぐ堅くなってしまうので、日本におみやげに買って帰れないのが残念。
2008.01.05
あと2か月
あと2か月で日本に帰るのだが、本当にいやである。
韓国での暮らしが肌に合って、かけがえのない縁で出会った人たちと離れるのがいやというのももちろんあるが、この10ヶ月、気ままに感じること、何かを理解すること、何かを身につけることに専念できたということが一番大きい。
教えたり、論文を書いたりする仕事は、学ぶところももちろんあるのだが、どちらかというと自分の中にあるものを出していく作業で、どうしても出過剰になってしまう。30代後半はずっと体調が良くなくてますます入力する余裕がなくなっていたのだが、体調が良くなって日常から解放される環境に来て、インプットに対する飢えが一気に爆発した感じがする。
何かがわかったり、身についたりするという体験は、受動的などんな娯楽よりも大きな喜びを与えてくれると思う。そして、一度その喜びを味わってしまうとやめられなくなるような中毒性がある。ここにきて、完全に中毒症状がぶり返したようだ。
学習中毒者というのは、頭を使う仕事だけでなくあらゆる分野にいて、会うとすぐわかる。オリンピックで金メダルをとるような人はたいてい重度の学習中毒者だし、経営者にも結構いるし、私の踊りの先生もそうだな。もちろん、研究者や学者にはたくさんいる。
若い時に一時期がんばったというのではなくて、年をとっても続くというところが中毒者たる由縁である。周りの人に迷惑をかけがちなので、人間的にどうかというのはまた別の話だが。
2007.12.30
技能の学習・伝承に関するメモ
前々から、組織に存在する知識や技能を伝承したり、学習を促すために情報技術をどのように使ったらよいのかに興味を持っていたのだが、韓国に来て図らずもそのテーマを考えるのに大変良い経験を得ることができた。今までに何回か書いているが、韓国の伝統舞踊を習うという機会である。
情報技術を使うというと、明示的、構造的な知識を保存するという発想になりがちだが、私が目をつけているのは、「言葉にしにくいものを理解する」ことを情報技術が支援できるのではないかという点である。
言葉にしにくいものの理解というのはあらゆる局面で存在するが、踊りを教える・習う場では、理解させよう・しようとするもののほとんどが言葉にしにくいものである。それに加えて、私のケースは、先生との間で言葉があまり通じないという、なかなかおもしろい状況にある。
おもしろいと他人事のように書いているが、実際のところ言葉の問題で、簡単な伝達事項すらわからなくて行き違いがあることは時々あり、また、概念的な話を一方的にされるとまったくわからない。しかし、踊りの学習については、私もおそらく師匠の方もほとんどストレスを感じていないし、韓国人の他の生徒に比べてコミュニケーションが不足しているということはまったくないというのが実感である。これがなかなか不思議なところである。
さて、まだ全く論じたりする段階ではないのだが、今現在経験していること、感じたことを後々のためにメモしておこうと思う。現在踊りを習い始めて5か月ちょっと、4曲目に入ったところで、グループレッスンと個人指導を週に1回ずつ受けている。
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最初の指導
1つの曲は長く複雑であるので、曲を細かく切って少しずつ進んでいく。どのぐらいで切るかはその部分の難しさと習う人の能力によると思うが、私のクラスの場合、わずか数小節で終わることがある。
1節を初めて習うときは、まず先生が踊ってみせるのを見よう見まねでまねをする。当然簡単にまねできないので、何度も繰り返すことになるが、繰り返しながら先生がポイントとなるところを伝えようとする。
その方法として一番よく使われるのは、先生が動きを強調するようにリズムを歌う方法である。これにはある程度決まった表現があるので指導法として伝承されているのかもしれない。(部分的な指導だけでなく、師匠は1曲全部をこのように歌いきることができ、それを聞いたときはちょっとぞくっときた。)
それからもちろん動きを部分的にスローモーションにして強調したり、言葉での指導もある。ちょっと複雑なことを言われても、身振り付きならばまあほぼわかる。言語として完全に理解しているのではないのだが、非常に状況に埋め込まれているので、塊としてわかるという感じである。
何回も先生と一緒に動いてみて、何とかついていけるようになったら、一人でやってみることになる。たいていは、先生が掛け声をかけながらチャングという鼓を大きくしたような打楽器をたたくのに合わせて踊る。これが毎度のことながら一番つらい瞬間である。先生の横ならば何となくできていたはずのものが、見事にまったくできない。手足の動きはばらばら、短いフレーズでも次に来る動きが思い出せなくなる。
そこを先生が辛抱強くもう一度教えなおし、またやってみてだめならもう一度教えなおし、ということを繰り返す。ある程度動けるようになると音楽にのせて前から通してやる。レッスンの終りのころには一人で何となく動くことはできるまでにはなるが、まだいろいろおかしい、ぶざまな動きであることを自分でも感じている。
ちなみに、私はこの最初の指導での飲み込みは年齢と初心者だということを考慮してもかなり遅い方だと思っている。
理解したことを確認する
夜遅くても、レッスンが終わったらその日のうちに復習しておくのが大事だと思っている。個人授業のときはデジカメ動画で師匠の手本の踊りを撮らせてもらえるのでそれを見ながら、動画がなくても思い出せる範囲で何度もやってみる。繰り返す回数は、自分の理解したことを確認して翌日までに忘れない程度である。
このとき、自分の理解したことと、自分が実際にできることにはギャップがあり、そのことを私自身が自覚しているということが重要である。つまり、この踊りに関するイメージは、初回のレッスンでまだまだ不完全であるができていて、でも体がまだそれを再現できないのである。
理解したこととできることのギャップを埋める
このギャップを埋めるのに、毎日朝と寝る前に練習して、たいてい数日はかかる。ギャップを埋める方法は、ここがおかしいと思うところを繰り返しやってみて、動画を確認したり、言われたことを思い出したり、時には少し客観的に考えてみたりする(「基本は合理的にできている」)。
1回習った時点で理解していることは、たいてい間違いを含んでおり、もちろん全体に非常に未熟である。しかし、翌週のレッスンまでに、理解している範囲については実際にはできない、ということはほぼなくなっている。理解したことは相応の努力をすればできるようになるということは、(もちろん私がまだほんの初級にあるからそういうことが起こるのかもしれないが、)私にとっては新鮮な驚きである。楽器の習得やスポーツでも同じようなことがあるのだろうか。
身体的なイメージ
体で覚えるということをよくいうが、体で覚えるということにも理解と実現という2段階があり、理解をすることが実現可能性を(100%ではないかもしれないが)生むということなのかもしれない。体で覚えるときの「理解」のかなりの部分は言葉で表現できない。無理に言葉で表現しようと思えばある程度できるかもしれないが、それは比喩であったり、後付けの論理にすぎず、実体は一種の内的なイメージのようなものである。
実践的には、このイメージから直接どう踊るべきかを知るというよりも、そのイメージを基準に自分の動きが「違う」かどうかを判断しているように感じている。違う、違う、と思いながら何度も繰り返すうち、これなら許容範囲かな、これは結構いいんじゃないかな、という動きに達するのである。
吉田秋生の夜叉というマンガに、遺伝子操作により神経の伝達能力が異常に発達した主人公が拳法の達人の動きを1回見ただけで再現してしまう場面がでてきたが、例え私がそのようなうらやましい脳を持っていたとしても、先生の動きを寸分たがわずコピーできれば良いのかというとそうでもないような気がする。ある踊りを習うということは、動きをコピーすると言うことではなくて、踊り手が持っている身体的なイメージを伝えるということ、それが体で覚えるときの理解ということなのかもしれない。師匠が弟子にいかに厳格に教えても、体の構造や身体能力、脳の働きは人によって、また、状況によって異なるから、結果的に表現される踊りは決して同じにはならない。
ところで、イメージと言うと視覚的なものに思えるが、そうでもないのである。先生の動きを見てまねをすることが学習の最初のステップであり、動画を見ることも理解を助けになるのは確かであるのだが、その絵が頭にあって判断しているわけではなく、自分自身の動きを直接体で感じてこれは違うとか判断しているようなのだ。だから自分の動きを鏡で見ることのできない家での練習も可能である。(チェックできたほうが便利なときもあるが、意外に必要ない。)
それから、耳から来る感覚も大事なようである。習っている曲の音楽を最近まとめてもらったのだが、家で練習するときに音楽がある効果はめざましかった。韓国の伝統的な音楽においてはリズムが非常に大事でなかなか複雑にできている。(大曲になると転調ならぬ転リズムが何回もあったりする。)細かい動きがわからなくなったとき、リズムをよく聞くとそこに答えがあることがある。
2回目以降のレッスン
次にレッスンに行ったときは前回の復習からやることになるが、このとき、間違えて覚えていることや、よくわからなかった部分がほぼ直されることになる。このとき新たに得た理解を持ち帰って復習すれば、とりあえず踊るという低いレベルではあるが、第1段階は完成である。
その後、全体の通しや前にやった曲を踊る機会はたびたびあるので、2回目までに直しきれなかった部分やさらによくするための指導は随時入る。それから、もう一つ重要なフィードバックの機会は、先生が一緒に踊ってくれる時である。タイミングや呼吸、表現などを覚えるのにはそれが一番でよいだけでなく、ある程度覚えた時点で上手い人と踊るというのはなかなかの醍醐味である。
また、特に指摘されたわけでもなく、だいぶ時間が経ってから、ある時自分で踊っていて突然気づく、ということもある。自分で突然気づくことは、大抵何か重要なことである。このあたりはほとんど意識の外の作用で起こっているとしか思えない。(実はこのような経験は、踊りのような身体感覚中心の行為だけでなく、論理的な思考が中心であるはずの本業の研究でも時々ある。)
この間書いてみた自己流の譜は、2回目のレッスンが終わった時点ではまだ書けなくて、その後数週間踊りこんだ後で書けるようになる感じである。ここまで来ると、下手なりに思いきり楽しんで踊れるようになる。
これだけまじめにやっていると当たり前というべきか、自分でも上達のスピードは目覚ましいものがあると思う。昨日の発表会では緊張して見事に失敗したが・・・
基本とは何か
ところで、レッスン中の先生の踊りは、同じ踊りでも舞台公演での先生の踊りとは全然違う。レッスン中はできるだけくずさず装飾的な動きをつけず、シンプルな動きを見せてもらっているような気がする。舞台の上の踊りをいきなり見せられたら、複雑すぎて生徒にはとてもまねができないということもあるだろう。しかし、もっと本質的には、表現の部分は即興的で毎回変わっていくということだ。踊りには変えてはいけない部分と可変部分が存在し、先生が生徒に伝えたいことは変えてはいけない部分と、可変部分を変えるときに守るべきことの基本法則のようなものだと思う。
この基本原則のようなものは曲のレベルでもあるし、韓国の伝統舞踊の中のカテゴリーのレベルでもあるし、もっと普遍的な(国や時代を限らず)踊り全般のレベルでもあるように思う。そしてその大部分はなかなか正確に言葉にできない領域にある。前に「4拍1セットのときは2拍目と4拍目で重心を落とす」という例を書いたが、これなどは基本中の基本のごく表層にすぎない。少しでも言語化する努力には意味があると思うが、大部分は身体的なイメージの底に沈んでいてなかなか取りだせない。
しかし、師匠を見ていると、何が基本で何が基本でないのか、ご本人の中ではかなり明確に区別できているのを感じる。はっきり言えるのは「それは違う」ということだけで、それ自体が何なのかはごく簡単な原則以外はなかなか概念化できない。それを時間をかけて伝えていくのが伝承ということなのかもしれない。
もちろん、流派によって、踊り手によって、基本に対する考え方は異なるし、師匠から弟子に伝承されるときにも、いかに優秀な弟子であっても正確に同じものが伝わるわけではない。それでも、底流に流れている何か共通したものがあるのは確かなのだと思う。
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韓国語で概念的な話をされるとわからないと書いたが、時間とお互いの努力があれば可能で、師匠とは、個人指導の休憩時間などに、筆談(ハングルを書いてもらって私が辞書で調べる)を交えて結構深い話をするようになってきている。
上に書いたことは、私が踊りを習っていくうちに自然に考えたことであるが、少しずつ話しているうちに、師匠は実はこの基本とは何かということを非常に意識的に探究されている方だということが後からわかってきた。(その話はまた別の機会にしようと思う。)言葉にしにくいものの理解を考えているうちに、それを実践で究めようとしている方に出会えたのである。
師匠のチョン・ジュミ先生とは感性的にもとても相性が良く、人生において最も大切な縁の一つになるような気がしている。私が滞在している研究所の所長のハン先生の紹介で軽い気持ちでグループレッスンに参加し始めて1か月ぐらい、まだ右も左もわかっていない(今でもわかっていないが)頃、師匠が来週から個人指導を始めるから、とおっしゃったのがこのようにハマるきっかけだった。その頃はちょっと押され気味だったのだが、今ではとてもとても感謝している。
2007.12.29
とちった~
伝統舞踊の教室の発表会だった。
う、うー。今日は記録のためプロのカメラマンが来ていて、すごく近くに寄られて連写されたら、完全にあがってしまい、2度も頭の中が真っ白になってしまった。
もともとわりと緊張するほうではあるが、本番で真白というのは生まれて初めて。特に最近では、仕事関係で大勢の人の前で話すのは平気になっていたので油断していた。
教室の皆さんには、大丈夫大丈夫と暖かくなぐさめていただいたが、チームのみなさん、ごめんなさい~
それにしても、韓国の人たちは本番にめちゃくちゃ強いわ~
2007.12.17
風邪
大したことはないのだが、昨日の午後から急に調子悪くなり、どうやら風邪のようだ。これだけ寒くて乾燥していると無理はない。
昨夜はスンドブチゲという海鮮だしのおぼろ豆腐の辛いスープに野菜たくさんと卵を入れたものと、豚肉の焼き肉を大量に作って食べ、薬代わりに焼酎をごくごく。うまかった。(だから全然大したことはない・・・)
今日もまだ駄目なので、高滋養、安静生活を続けることに。風邪で太ってしまったらどうしよう。
2007.11.29
2007.11.28
基本は合理的にできている
韓国の伝統舞踊を習い始めて4か月を過ぎて最近だんだん、私の師匠はその踊りの腕と運命的といってよい経歴、そして何よりその発想と見識が凄い人だということがわかってきた。(師匠のチョン・ジュミ先生の話はいずれ改めてしようと思う。私の本業の研究上でもいろいろ触発され、今後何かしら発展しそうな雰囲気になってきているので、その話を含めて。)
このように凄い人に踊りの基本をゆっくり丁寧に、かつ非常に熱心に教えていただくという私にはもったいない体験をしているのだが、最近つくづく感じることは、基本というものは合理的にできている、ということである。
私の習っている踊りのレベルでは、個々の動作やポーズに難しくてとてもできないというものはなく、漫然とコピーするだけならば(私には無理だが)勘のいい人ならすぐできないこともないと思う。しかし、一つ一つの基本に含まれる、手や足の動き、重心のかけかたなどの諸々の要素がきちんとできていないと、流れるような動きにはならず、決して「踊り」にはならないようなのだ。
私は身体的な勘がとても鈍いので、この動きとこの動きがどうやってつながるのか、家でやってみるとはたと考え込んでしまうことがよくあるのだが、先生に教えていただいた基本の要素を忠実に再現してみると、まるで魔法のように自然につながるということを何度も経験した。基本はすごく合理的にできているのだ。
初歩的だが、例を一つだけあげると、一拍の3分の1ぐらいの間に体を180度回転させなければならない振りがあるとする。若い人や運動神経のある人ならば何なくこなしてしまうと思うが、中年でかつどんくさい方の私はこれを何となくやると体勢を崩してしまう。しかし、4拍1組の動きの場合は、2拍目と4泊目で重心を落とすという基本を思い出すと、回転は3拍目の頭であるから、2拍目で十分に重心を落とし、3泊目で上に向かって立ち上がる力で回り、4拍目のダウンで回転の勢いを吸収すればスムーズに無理なくできるということに気づく。もちろん、このようなことをいちいち言葉で考えているわけではなく、体で覚えたことを組み合わせて検討するわけであるが。
考えてみれば、舞踊だけでなく、あらゆる芸術、スポーツ、仕事の現場にも、たいてい基本の型というものがある。それらは長年の人智の結晶であり、新人は理屈抜きで基本の型をまず身につけることが求められることが多い。理由も説明されず何だか押し付けられるようでいやだと思うこともあるかもしれないが、実は基本の型にはちゃんと合理性があり、それを言葉で教えられるよりも、自分で発見することが重要なのだと思う。
研究者になる訓練も同じで、私は学生にまずオーソドックスな形式の論文を書くことをすすめる。発想は斬新であるほどよいが、それを実証し、他人に説得する作業は、とりあえず基本の型でやってみるのだ。本人が基本の型に含まれる合理性を深く理解してはじめて、必要ならば型から外れていけばよい。
伝統舞踊においては(少なくとも私の師匠の考え方では)基本はくずさないが、ちゃんと百人踊れば百様の踊りになり、その中でもひときわ個性的できれいなのは、基本に対する深い理解がある踊り手なのだと思う。
初心者にこのようなことを気づかせてくれるのが私の師匠の凄さである。
2007.11.13
ヘッドフォンと老眼鏡
最近、複数の知り合いが外界の音を遮断してくれる高性能のヘッドフォンを買ってよかったとブログなどに書いているのを続けて読んだ。そういえば、息子も誕生日プレゼントにヘッドフォンが欲しいと言った。(ちなみに去年のクリスマスプレゼントは外付けハードディスクだった。おたくめ。)
ふと思った。そういえば、私にはヘッドフォンがいらない。集中するのに、まわりがかなり騒がしくてもあまり気にならない。電車の中でも平気で仕事ができる。ソウルの地下鉄で蛍光マーカー片手に本を爆読しているとちょっと異様らしく、何をしているのかと話しかけられたりする・・・
ヘッドフォンを買ってよかったと言った人はすべて男性だし、男性と女性の脳の構造に関係があるのかもしれないが、私の場合ひとつには、研究者の道に入ったときの環境によるのかもしれない。
会社の仕事をやめてMBAに入ったとき子供は8か月。居間のど真ん中で、周辺の状況に気をくばりつつ、勉強せざるを得ない。子供が妨害してきても(当然する)、赤ん坊のうちはすべて受け入れなくてはならない。よく床に寝転がって、子供を背中に乗せてケース教材を読んでいた。並行情報処理能力が鍛えられもするはず・・・今では子供のほうが構ってくれなくなったが、いまだに家での仕事は居間でしている。
先日買った老眼鏡の扱いにちょっと困っている。PC画面や紙面を見るとき老眼鏡をかけているとずいぶん楽なのだが、そのまま視線を遠くに移すとクラクラする。老眼鏡をかけてみて初めて、自分は集中して仕事をしているときでも合間合間に窓の外をみたり、そのあたりを歩き回ったりしていることに気づいた。ほとんど意識しないでやっていることなのでいちいち眼鏡をずらしたりしていられない。不便だー。
2007.11.11
2007.11.01
2007.10.26
初心者の踊り
昨日から続く。
さて、状況がいま一つわからないまま、振りも覚えきれないまま、当日を迎えたわけだが、行ってみると公園の小さな野外劇場で、地域のお祭りのような催しだった。各種の歌あり、踊りあり、パフォーマンスあり。うちの舞踊教室の演目は、才人庁基本舞クッコリチュム(チュム=踊り)とアリランである。
才人庁とは、李朝朝鮮時代にあった祭祀や芸能を司る役所で、宮中や民間に伝わるさまざまな踊りを整理して後世に伝える役割も果たした。私の先生はこの流れを汲んでいる。
才人庁の踊りの多くは、おそらく朝鮮時代よりずっと古い起源をもち、儒教や仏教というよりも何やらアニミズムの匂いがする。詳しくはよくわからなのだが、基本舞では天や地や人の仕業を象徴的に示した動作が満載で、私は「携帯宇宙」と勝手に理解にしている。踊り手がいればどこにいても宇宙を再現できる、という役割を果たしていたんじゃないかと思うから。
さて、このように古い起源をもつ踊りを踊るのは、私には思った以上に良い経験だった。なんだか、体にパワーが満ちてくるのだ。毎日寝る前にちょっと踊るだけで、目に見えて健康になった。そして、何より楽しい。
しかし、基本舞といえどもなかなか踊るのは難しい。何が難しいって、まず上手に踊る以前の問題として、振りを覚えるのが難しい。現代の音楽やダンスのように、繰り返しのある対称的なつくりではなくて、全体に構成が不規則で非対称的で、しかも一曲が長いのだ。
あまりにも覚えられないのでたまりかねて、細切れに先生に手本を踊っていただいてビデオにとり、家でじっくり見て練習していたのだが、今日のクッコリチュムはビデオ撮りが最後まで到達しないで公演の日を迎えてしまった。
アリランはもっと現代的で、振り自体は古来の踊りより簡単なはずなのだが、いつもあまり練習時間を取らず、しかも3番はつい最近初めて習ったので全然覚えきれていない。
公演のメンバーは9人でベテランのお弟子さんと初心者が半々ぐらい。私だけでなく初心者組は振りを覚えきれていないことが最後の稽古の時わかったが、皆衣装に着替えて化粧をしたら和やかにだらだらしている。私も今更じたばたしてもしょうがないので一緒にだらだら待機。
さて、あと少しで出番というとき、誰かが「アリランの3番がわからないのだけど・・・」と言い出した。心の中で「どこまで、ぎりぎり好き?」と密かにつっこむ。ベテランのお弟子さんが「ええっ、今?」という顔をしながらも教えてくれ始めたが、「出番です」という声が。
バックステージに行くとまだ前の出演者が歌っている。すると、先生が「これは一回練習できる」と断言し、急きょみんなで外に出て一回早回しで通し稽古をすることに。ぎりぎり好きもここまで来るとすごい。
早回しだったので振りを覚えるのに足しになったとはいえないが、私は何だかもう楽しくなってしまった。そのまま、ステージに出ると、近所の人々がリラックスして観覧しているのが見えた。まったく緊張せず、最後まで楽しく踊りきることができた。
(クッコリチュムはステージの上でやっと全部覚えました。)
2007.10.25
師匠の踊り
夜、国立国楽院まで、踊りの先生が出演する「韓国名人名舞展」を見に行った。
9人の踊りの名手が出演する中、先生はかなり高い格で扱われているのを感じた。温かくかわいらしい人柄で普段全く偉そうにしない方なのだがすごいなあ。
実際、先生の踊りは美しい。今回は若手と一緒だったのだが、速い動きなどは現代ダンスの基準からみれば若い人に比べてキレがないかもしれない。しかし、動き一つ一つの存在感が圧倒的で、群舞の中にいても際立っていた。
ジャンルを問わず、踊り手は若いころよりも中年以降のほうが味わい深くなるような気がする。もちろん、長年の修練の積み重ねがあってのことだが。若い子には出せない美しさってありますよねっ、先生。(子供の年が近いので、たぶん年はそんなに変わらない。)
さて、詳細はよくわからないのだが、明日は私も公演に出るらしい。公演といっても今日のとは全然レベルが違って地域の公民館でやるようなものではないかと思う。教室での会話は当然韓国語なので、よくわからないまま、どうやら私も出ることになっているらしい、ということだけわかったまま前日になってしまった。
始めてまだ3か月だし、何といってもやる予定の2曲とも最後まで振りを完全に覚えていない・・・いつもならパニックになると思うのだが、韓国暮らしに染まってきたせいか、割と動じていない。こちらでは、日本人みたいに完璧さを求めず、本番の気合で乗り切る傾向があるのだ。仕事のやり方などを見ていてもそうなのだが、ぎりぎりまで手をつけず、これ以上やらないとまずいという状況に追い込まれて初めてものすごい力を発揮する。
実際、稽古の最後に、先生が「何か質問がある?」とおっしゃったとき、「アリランの3番がわかりません!」という今更何を言う的な質問(大事なエンディングである)が出たので、ああ、私一人じゃないということがわかった。私を含めて教え子の大多数はおばさん。振りはちょっと習ったぐらいではなかなか覚えられないのだ。でも、まあ、きっと何とかなるでしょう。
2007.10.14
観光の練習
ソウルに来てずいぶん経つのにあまり観光地に行っていない。日常生活にとても満足してしまっているというか・・・しかし、日本から客が来たときに全然案内ができないと困る。
よく晴れた秋の日曜日、練習(?)のために、代表的な古宮、景福宮に行ってみた。
広い敷地は、公園のようにのんびりできる。
ちょうど入口の興礼門前で守門将(衛兵)交代式をやっていた。バッキンガム宮殿みたい。
同じ敷地内にある国立民俗博物館は、建物の外観はちょっと・・・だが、中身の展示のセンスはなかなかよい。おすすめである。
博物館の前で、仏教舞の野外公演をやっていた。ここのところ伝統舞踊を習っている私は、思わず癖で一生懸命細部を見てしまう。足の重心の置き方とか、手の返し方とか。今日は誰も「はい、やって」とは言わないのだから、もっと気楽に見ればいいのに。
写真ではこの味わい深い動きが伝えられないのが残念である。
2007.10.10
2007.09.19
フィガロの結婚
ソウルに小澤征爾指揮ウィーン国立歌劇場「フィガロの結婚」が来たので見に行った。舞台装置がなく、オーケストラとキャストが同じ舞台に上がるのだが、演技が簡略化されている以外は3時間以上ほとんどフルで演奏していた。
いつもは割と良い席をとるのだが、今回は一番良い席は45万ウォンで6万円近くし、ちょっときつかったので、中間ぐらいの値段の席にとっていた。席の位置はそんなに悪くなかったのだが、誤算が一つあった。周りのマナーが悪いのだ。
演奏が始まっているのに後からぞろぞろ入ってくる、演奏中に隣りと話す、両隣のおばちゃんたちが演奏中にかばんから何やらごそごそ取り出して食べたり飲んだりし出したときには、さすがに怒ろうかと思った・・・
しかし、途中の休憩時間に、おばちゃんたちの集団は忽然と消え失せていた。あきらかに退屈した様子だったのでいやになって帰ったのかもしれないが、もうこれで終わりだと思った可能性も高い。うふふ。
おかげで後半はすがすがしい気持ちで聴くことができた。演奏は、詳しいわけではないのだが、さすがにうまかった。安心して聴いていられた。生の小澤征爾氏は初めてだったが、これで最後になるかもしれないなあ。
ちなみに、ソウルはクラシック鑑賞の穴場だと思う。チケットの相場がやや安く、何より東京のように混まない。私が時々行く国立のその名も「芸術の殿堂」は、広い敷地にコンサートホール、オペラハウス、美術館、レストランなどがあって、夕方ちょっと思いついて行って、夜のコンサートの当日券を買い、美術館を見たり食事をして時間をつぶす、といった優雅ことができる。
クラシックコンサートなのに「ひゅーひゅー」と言ったり、楽章の間に拍手をしたり、まだ聴衆のマナーは十分定着していないが、まあ今日みたいにひどいことは今まではなかった。まだ慣れていないという感じなのだろう。
2007.08.30
2007.08.19
韓国のネットサービス
韓国に来て、ネットサービスを使っていると感じることを書いてみよう。
・独自のプラグインが必要なサイトが非常に多い。
米国や日本よりもそのサイト独自のプラグインを入れないと使えない、あるいは機能が制限されるサイトの割合は多いと思う。
よくわからないものをやたらにインストールしたくないと、初めのうちは拒否をしていたりしたが、とにかくプラグインを入れないとちゃんと表示さえされないサイトも多いので、そのうちあきらめて、要求されるがままに入れるようになった。たぶん、韓国の一般の人々もそういう感覚になっていると思う。
使えるプラグインソフトの一例。ソウル市提供の日本語版バスマップ。http://japanese.seoul.go.kr/ja/life/transport/transport_03.html
プラグインのおかげでWebから便利な機能を色々使える一方で、当然重くなるので、マシンの性能がよくないと止まったりエラーをおこすことは多くなる。
また、現在、Windows Vistaの登場で、これに対応できないサイトがたくさんあって困っているという。そうだろう、これだけたくさんあるプラグインソフトを一斉にバージョンアップするのは大変だ。
外国人としては、多言語対応になっていないものが多いのも困る。日本語のOSを使っていると、メニューが文字化けしたり、フリーズしてしまうことも少なくない。
・電子手続きが発達している。ただし、最後は電話と訪問。
政府や教育機関、企業のさまざまな事務手続きをWeb上でできるようにすることにはとても熱心な国である。ただし、大事なところが人的な処理になっていて信頼性が低く、結局電話をかけるか出向いて正さないとうまくいかないことが少なくないような気がする。
例えば、大学関係の手続きで、利用者一人ずつマイページをつくって手続きや進行状況などがわかるようにしてあるのはよいのだが、どうみても他人のデータが入ってしまっていることがあった。問い合わせ用に一対一の問い合わせ掲示板が用意されているのはよいのだが、さっそくそれを使って間違いを指摘すると、電話か出向いて訂正するようにという返事が返ってきた。ううーん、何のための一対一掲示板?
結局出向いて訂正したのだが、その時したかった手続きはできるようにしてくれたものの、データの間違い自体は訂正されなかった。これだと、次回申請などするときに、また出向かなければならない。さらに後日、今度は他の別の誰かのデータが入っていた。こうなると、もう、何でもいいや、という気分になる。電子手続きは使えればラッキー、基本は今まで通り、と思っていたほうが良いようである。
・住民登録番号による登録
コミュニティサイトなどの利用登録をするには韓国国民なら必ずもっている住民登録番号が必要である。これはある程度の規模以上のサイトには法的に要請されている。つまり、サイト運営者は、ユーザーの実名だけでなく住所や生年月日などの個人情報を必ず把握しているということ。
長期滞在の外国人は、外国人登録証の番号で登録できる場合もあるが、だめな場合もある。私は、韓国最大のコミュニティ、サイワールドに外国人登録証のコピーをFAXして登録申請したのだが、いまだに返事がない。電子メールでもなしのつぶて。電話しなくちゃ進まないなこれは。ああ、面倒。
・決済手段が多様に発達。ただし、国内向け。
電子商取引にはクレジットカードをはじめいろいろな決済手段が用意されている。しかし、そのほとんどは韓国内向けのサービスで、クレジットカードですら国内発行のものでないと受け付けないことが多い。
米国の通販サイトをいろいろ利用していた時期、日本発行のクレジットカードが通用しないことはほとんどなかった。韓国のサイトは国際的な利用はほとんど視野に入れていないということだろう。(日本のサイトはどうだろう?)
おもしろいのは無通帳入金というもの。申し込むと、個別に割り当てられた銀行口座番号を知らせてくるので、2日以内ぐらいに振り込むとすぐ承認通知がくる。公演のチケットを買うときなど、クレジットカードの代わりに、オンラインバンキングと組み合わせてこれを使っている。
・オンラインバンキング
韓国はネットサービスが発達しているといっても、外国人にとっては必ずしも使いやすいものでないのが現実だが、オンラインバンキングはよくできている。外国人向けにも、私が使っている銀行の場合、完全に英語のインターフェースで手続きできる。振込先の銀行名なども英語で表示される。
ただし、認証には公的標準システムがあって、これが多言語対応でないのでメニューが全部文字化けする。普段の操作はパスワードを入れればよいだけなので使えることは使えるのだが、最初にインストールするときは仕方ないのでほとんど勘でやった。
しかし、韓国生活ではオンラインバンキングは非常に有用である。現金が小額のものしかなくて(最高金額紙幣が1300円程度)取扱に不便なこともあって、振り込みで支払うこと要請される機会が多く、勘で何とか使えるようにしたオンラインバンキングは一番使うネットサービスになった。
2007.08.18
奥が深い
研究所の所長さんのすすめで始めた韓国の伝統舞踊。
基本の立舞を習っているのだが、もともと覚えが悪い上に日本と米国に行っている間に完全に忘れて帰ってきたらもうしどろもどろに。個人レッスンで補習と相なった。
韓国語があまりできない私にも、基本的な指示は(そうバラエティがないので)だいたいわかる。しかし、練習の合間に先生がいろいろな話をしてくださる内容がほとんどわからないのが、非常にもったいない。
私があまりにわからなそうにしているので、先生が紙に書いてくださった言葉は、辞書で引くと「宇宙の原理」。ひえー、そんな深い話を。
踊りの動作には一つ一つ意味がある。例えば、回る時には基本的に左回りなのだが、それも宇宙の原理をあらわしている。というようなことが薄々わかった。
先生の踊りを動画で撮らせてもらって、家でも練習することに。チームの皆さんについていけるようにならなくては。
2007.08.16
適当な買い物
大型スーパーの中をぼーっと歩いていると、干しフルーツの量り売りをしていた。
私はあんずとナツメがわりと好きなので、それぞれ指さして200グラム、100グラムと言った。
おばちゃんは適当にどさっとふくろに取って秤にドンとのせ、これでいいか?という。
何だか少し多いような気もしたが、よく確かめもせずそれでいいと言い、受け取った。
レジで会計をしたら、日本円にして3000円。ええーっ、干しフルーツで?100グラム300円ぐらいだったはず。
ラベルをよくみたら、総量1キロを超えていた。言ったのの3倍以上じゃないか・・・
大量の干しフルーツ。
どうりで最後におばちゃんたちがうれしそうにおまけをいろいろつけてくれたはずだ。
適当な買い物にもほどがあるよ、私。
ま、いい。来週食べざかりの息子が遊びにくるので、これもあっというまに食い尽くされるだろう。
おまけにもらった干しトマトは結構いける。
2007.07.25
約束の概念
外国に住んでいると、約束の概念が国によって微妙に違うことを感じさせられる。
日本人は、一度人と約束したことをとても大切にする。もちろん、人によって誠実さはいろいろではあるが、約束を破ることに対する社会的な制裁が強いこともあり、日本人が約束を守る確率は国際的にたぶんとても高い。
例えば人に会うことを約束したとしよう。それが本人にとってさして重要なことでないとしても、後からもっと重要な用事が入っても優先順位は基本的に先に約束した方である。
韓国で暮らした実感では、後からもっと重要な約束が入ると、そちらを優先することにあまり抵抗感はないようである。したがって、悪びれず割と簡単に約束を翻す傾向がある。(これは、ちょっと疲れる。)
もちろん、日本でも、とても大事な用事が入った場合は、相手にその旨を説明して変えることはあるが、先約のウェイトのかけ方は違うような気がする。
これは、韓国人が自己中心的であるからだとは思わない。人々の親切さは韓国も日本も変わらないし、場が盛り上がらない時に何とか盛り上げようとする気の遣い方は韓国人の方が上だ。
米国では、promiseという言葉は日本的に本当に大切にする約束だけに使い、会う約束はもっと事務的で軽いもので、appointmentとそもそも使う言葉自体が違う。
人に会う約束に限らず、日本人の場合、はっきり言明することは、それが感想にすぎなくても、ある種の約束とみなされる傾向があるような気がする。前言ったことと違うことを言えば、一貫性がないとみなされる。だから、曖昧な表現を多用してしまうのだ。
米国では、その場で自分が思ったことをはっきりと言い、状況が変わったとき意見が変わってもそれは構わない。ずっとコミットする必要はないのである。
大学院生の時、米国帰りの師匠からはっきり簡潔に自分の考えを述べることを厳しく指導されたが、この文化の違いで相当苦労したのを思い出す。断定するのにすごく心理的な抵抗を感じるのだ。(もちろん、米国でも、ビジネスの交渉の場のようなところでは、口にする言葉に慎重になると思う。)
日本人や韓国人から見て、米国式は、かなり異質であるけれど、そういうものとして受け入れれば納得しやすいと思う。(逆は難しいかもしれない。)
一方、日本人と韓国人は、「約束」という同じ言葉(発音はほんのちょっと違うがヤクソクで通じる)を使っているが、それだけに概念の違いがあることに気づきにくいかもしれない。
東京にある、韓国のベンチャー企業のインキュベーション施設に訪ねたとき、韓国企業と日本企業の間によくコミュニケーション上の摩擦が起きることが話題になった。日本企業が「約束」と思っていることを












































