May 2008
2008.05.27
2008.05.19
Geary, D.C.「心の起源」
Geary, D.C."The Origin of Mind," APA, 2004.
(邦訳:小田亮訳「心の起源」培風館)
昔、ドーキンスの「利己的な遺伝子」を読んだときに、進化論的な視点を動物の本能的な行動はともかく、人間の社会的な営みにまで何でもあてはめてしまうのには無理があると思った。遺伝子のふるまいと人間の社会的な行動の間のメカニズムがブラックボックスになっていてほとんど証拠もなかった。それに比べて、本書では、脳の進化-脳の機能-個体の社会的な行動というリンクができていてずっと説得力がある。行動経済学で取り扱っている人間の非合理性も、脳の進化という観点からずいぶん説明できるはずである。ただし、肝心の脳の機能の解明はまだまだ途上であるので、現時点でなされている人間の社会的な行動の説明付けはまだまだ仮説に過ぎないことに注意する必要はある。
本書の核心は、人間の心の働きにはヒューリティクスで無意識的に処理する部分と、意識的にコントロールされた問題解決をする部分があるという経営学ではおなじみのモデルに心の進化論を結びつけた6章以降にある。ヒューリスティクスで解決する心の働きは早い時期に進化したもので動物の心の働きはほとんどこれに支配されている。一方、現人類は、理性で意識的にコントロールする部分を非常に発達させ、環境が大きく変わった時などにヒューリスティクスが発動することを抑え、抽象的な物事を考えることができたため、生き残りの確率を高めることができた。ただし、後者の情報処理は非常にエネルギーを食うし、作業記憶を利用して順次処理しなくてはならないのでどうしても限界がある。だから、限定合理性なのである。
私が本書を読んではっとしたのは、人間が自動的に処理する部分というのは、暗黙的、非抽象的で、文脈依存、並行処理であるという点である。組織論の問題解決モデルでは、自動的にプログラミングされたヒューリスティクスというのは、コンピュータのアナロジーのせいでむしろ明示的、抽象的、非文脈依存的、局所的な処理というイメージをなんとなく持っていたのである。考えてみれば、意識的なコントロールされた問題解決こそがそのような特性を持っているのである。
人間が、論理ではとらえきれないものも、直観的に理解するというのは、古く進化した部分でおこなっている可能性が高い。世間でいう暗黙知も、何か高尚な心の働きではなく、ほとんど動物に近い部分でおこなっていると捉えたら納得がいく。なるほど。これはとても示唆的である。
本書の主張とは正反対かもしれないが、私は、人間がいくら合理的になれたとしても解決できない問題がある、というよりも、ほとんどの場合、完全に合理的に解決することが解決ではないと思っている。確かに、脱文脈的で抽象的な思考ができることが人類を繁栄に導いたが、おそらく今後のさらなる生存のためは、人間が古くから持っている、文脈依存的並行処理能力を、ある程度意識的にコントロールしながらも、もっと活用することにかかっているのではないかと思うのである。
2008.05.18
自分ちの花はかわいい
以前家におびただしい数あった鉢植え類は、韓国行きでいったんほとんどリセットされてしまったが、最近ひとつ、また一つと増えてきた。ああ、これで種をまいてしまうと、また足の踏み場がない状態になってしまう・・・
それにしても、街で家にあるのと同じ種類の花を見ると、うちの花の方がかわいいと思う。鉢植え類を置いてあるテラスは半地下にあって、よく育つとは決して言えないのだが。これではまるで親ばかである。
韓国に行っている間に自動給水器がこわれ、真夏の灼熱地獄で全滅しただろうと思って帰ってきたら、どっこい生きていた草花も結構あった。生き残ったものは強い、強い。再び気候のよい季節がきて、もう何が何だかわからない状態に繁栄している。
2008.05.05
佐伯胖「認知科学の方法」
佐伯胖「認知科学の方法」東京大学出版会, 2007年.
1980年代に出された認知科学選書の新装版、コレクション認知科学の第1巻。このシリーズは全部読もうと思っている。
本書は、著者が自身のメタ理論に到達するまでのドラマとしても読むことができ、分野を問わず、院生や若い研究者がメタ理論とは何かを知るのに最適である。もちろん、著者が到達した地点は立ち位置の一つにすぎず、研究者がそれぞれ探究していくものである。論文にいつも明確に書くかどうかは別の問題として、自らの立ち位置と、その根っこに無自覚なのが一番いけない。
つくづく思ったのは、社会科学の各分野はメタ理論のレベルでは非常に密接につながっているということである。それぞれの分野は、同じ土壌に生えた草木のようなものである。合理主義も生態学主義も情報処理アプローチも、経営学の根本にもしっかり流れている。
経営学について言えば、メタ理論に常に自覚的で、メタ理論に挑戦する研究をする姿勢を持つことが大切なのはまったく同じだが、メタ理論そのものを経営学や組織論の枠内で作ろうとしないほうがよいと私は考えている。これには異論がすごくあるだろうが、時代や現象に常に寄り添って経営や組織に関わる諸問題を解決しようとする特性があることから、妙に学問として成立させようとしてメタ理論とは言えないものをメタ理論と呼んでしまうおそれがあると思うからだ。メタ理論は社会科学で広く共有するものととらえて、小さく仕切ってしまわないほうがよい。
学生の論文や投稿論文などを読んでいると、明らかに多くの分野で言われているようなことを、経営学や組織論の文献の中では言われていないので(それも本当ではないことが多いが)理論的新規性があるのだと主張する人を少なからず見かける。異分野の文献までレビューするのはつらいかもしれないが、現実に密着した問題を扱う学問であるからこそ、それを他の分野よりもやらなくてはならない
理論的貢献を狭い学問分野の枠中でしか考えない人が増えると、その学問分野の将来性は危うくなると思う。反対に、自分の学問分野の存在意義なぞ考える前に、その根っこを広い視野でとらえ、ひたすらおもしろい研究を目指していれば、気がつかないうちにその分野から土壌全体に影響を及ぼす研究が出てくることだろう。




Recent Comments