ホットミルク
息子が毎晩寝る前にホットミルクを飲むので、私も相伴にあずかっている。
なんでも、私がいない間に学校がすごく忙しい時期があってあまりに疲れるので(ごめんね・・・)、彼なりに考えてGoogleで疲れをとる方法を探し、ホットミルクを飲む習慣がついたらしい。
この1年間、夫もいないことが珍しくなく、何事も一人で何とかしなくてはならない生活で、彼はずいぶん成長した。帰ってきたら、会話の量が増え、話す内容も1年前よりもずっと大人になってびっくりしている。この4月から高校生である。
息子が毎晩寝る前にホットミルクを飲むので、私も相伴にあずかっている。
なんでも、私がいない間に学校がすごく忙しい時期があってあまりに疲れるので(ごめんね・・・)、彼なりに考えてGoogleで疲れをとる方法を探し、ホットミルクを飲む習慣がついたらしい。
この1年間、夫もいないことが珍しくなく、何事も一人で何とかしなくてはならない生活で、彼はずいぶん成長した。帰ってきたら、会話の量が増え、話す内容も1年前よりもずっと大人になってびっくりしている。この4月から高校生である。
Leonard, D. and Swap, W."Deep Smarts: How to Cultivate and Transfer Endurig Business Wisdom," Havard Business School Press, 2005.
(邦訳:池村千秋訳「経験知を伝える技術」ランダムハウス講談社)
私はDorothy Leonardは日本でももっと頻繁に引用され、話題になっても良い方だと思う。「知識の源泉」などはナレッジマネジメントの定番教科書になるだけの価値がある。
本書では、米国のITバブルの時にIT起業家が真に必要としていた知識、deep smartsの獲得、形成、移転から正面から取り組んでいる。
ディープスマートは、その人の直接の経験に立脚し、暗黙の知識に基づく洞察を生み出し、その人の信念と社会的影響により形作られる強力な専門知識だ。・・個々の情報よりノウハウに基礎を置く。複雑な相関関係を把握してシステム全体の把握に基づく専門的な判断を迅速に下し、必要に応じてシステムの細部にも踏み込んで把握できる能力である。その能力は正式の教育だけでは身につかないが、計画的に育むことはできるし、献身的に努力すれば、他人に移転することも再創造を促すこともできる。(邦訳16ページ)
なんだ何も目新しい概念ではないじゃないかと感じるかもしれない。確かに目新しくはないが、何かと過小評価されたり、反対に、ブラックボックスのまま神棚に祭られたりされやすい概念であるため、改めて丁寧に吟味することには非常に意味がある。
ディープスマートの定義を少し何でもありにしすぎてきるような気がするが、私はここでのポイントは、個々の情報ではなく、ものごとの関係を把握し、他に応用できる能力、というところにあると思う。暗黙の部分も多いが、明示的にできる部分もあるだろう。また、他人に移転可能であり、再創造を促すことができると考えていることが重要である。
本書にもあるとおり、deep smartsを得る方法の基本は、深い経験を持った人から適切な指導を受けながら実体験を通じて学ぶことである。適切な指導を受けても、初心者がエキスパートになるにはざっと10年かかるという言う。deep smartsを得るには手間も時間もかかり、多少古臭いと思えるような方法が必要だということは、常に最新の技術知識が必要とされるIT産業でさえ決して例外ではなく、それを過少評価したために多くのIT企業が行き詰ったのだというのが本書のメッセージである。
この10年というのは、例えば研究者の世界でも感覚的にぴんとくる。学部の後半2年、修士2年、博士3年、よい指導者の元で一生懸命勉強しても、かなり優秀な人でもまだエキスパートにはなっていない。十分に訓練された人は、だいたい博士をとってから3年から5年ぐらいで一人前になるような気がする。ざっと10年というのは適切な勘定だと思う。
伝統的には、徒弟制がdeep smartsの伝承するしくみとしての役割を果たしてきたが、社会のしくみや個人の考え方自体が変化しているし、技術の急速な変化やグローバルな相互作用など環境が激変している現在の状況に合ったdeep smartsを獲得、形成、移転するしくみをつくる必要がある。
本書が提案されているのは、一言で言えば組織のdeep smartsの獲得、形成、移転について意識的になるということである。
・まず、自分が知らないことと他人が知っていることのギャップを知ることから始まる。その人、その組織に足りない知識を過小評価しないようにし、また、組織内の知識ギャップをなくしていく。
・deep smartを得るには経験の量と幅が欠かせない。ただし、すべてのケースを経験できないのでシミュレーションをうまく使う。また、一人で何もかも知っている必要はない。誰が何を知っているかというノウフーもdeep smartの一部である。
・ただ経験するだけではdeep smartsは形成されない。経験を受け止め体系化するレセプターが形成されなければならない。
・経験を持った人(知識コーチ)から経験の浅い人への指導の元で経験することが非常に効果的である。
-教える意欲と学ぶ側の意欲、態度がもちろん必要条件である。自発的な師弟関係が望ましい。
-端的な指示や経験則、体験談は役に立つ場合もあるが、経験しながらの指導に勝るものはない。
-知識コーチは、経験のレパートリーを増やす計画に関するアドバイスと結果に対するフィードバックを与え、学習者がやみくもに経験することを避ける。
-知識コーチは必ずしもエキスパートのレベルに達していなくてもよい。限界はもちろんあるが、少し先輩が少し後輩に教えられることはある。
・本業のプロジェクトに教育上の目的も持たせる、二重の目的を担うプロジェクトを考えてみる。
今後研究していかなければいけないことは、いろいろある。私が興味を持っているのは、いろいろなものごとのつながり(多くは明確に言語化できない)についてある人が理解したとして、それを他の人に理解してもらうにはどうしたらよいかということである。経験に基づく指導が効果的というだけではまだ箱が大きすぎる。もう少し箱の中身を、一部でよいから覗いていみたい。
だんなと子供があまりに運動不足なので、1年間留守にした慰労の意味もあって、Wiiをプレゼントした。
二人の運動不足解消に役に立つかはわからないが、使ってみるとおもしろい。これはもう一つ進化すれば、家庭内モーションキャプチャになるではないか。高価なシステムがなくても簡単に人の動きがトレースできるようになれば、あんなことにもこんなことにも使える、と想像は広がる。Wiiはモーションキャプチャのdisruptive technologyになるかもしれない。
日本大学芸術学部のプロジェクトにお邪魔し、中国の京劇の女優さんの踊りをモーションキャプチャするのを見学させていただくという貴重な機会を得た。気さくな方だったが、さすが一流の方で、何度同じ踊りを踊ってもぶれがない。全身指先に至るまで動きに隙がなく美しい。
中国の踊りは、韓国の舞踊とも、日本の舞踊とも基底でしっかりつながっているように感じた。女優さんが顔を隠して恥ずかしいというような動きをするとき、隣に座っていらした日本舞踊の先生が無意識に一緒に首を動かしてしまう。何度やってもそうなる。文化の流れがある証拠のように感じた。
以前から、企業内部に蓄積される技能や論理で表しにくい知識のようなものを継承したり広めていくのに、情報技術がうまく使えないかを考えていた。その題材のひとつとして、まさに言葉や論理では表わしにくいもののかたまりである踊りの伝承において、モーションキャプチャなどの情報技術がどのように使えるか、研究していきたいと思っている。ポイントは、動きそのものをモデルとして保存することに意義を置くのではなく、人から人へ非言語的なものを伝えようとするるコミュニケーションを支援することに焦点を当てることだと思っている。
本日これから帰国する。
ここ1週間、韓国で縁のあったたくさんの方々に会い、別れを惜しんだが、昼夜昼夜という感じで会食が続いて書いている暇がなかった。帰国してから改めて回想しようと思う。
最後に私が別れを惜しんでいるのは冠岳山。
ソウル大学は冠岳山の麓にあり、キャンパスの奥に行くと頂がずいぶん迫って見える。暖かい季節には、キャンパスの奥の芝生でこの山を背景に、国楽をやっている学生たちの練習する古い楽器の音が響き渡ってそれはそれは幻想的だった。
この頂上の塔のようなものは、私は初め仏塔か何かだと風流におもっていたが、軍事レーダーだった。そう言われてみれば、仏塔の縮尺ではない。
実は冠岳山の反対側の果川市は、政府の庁舎が集まっているので、軍事的に重要な拠点なのだ。冠岳山は中央政府の機能を空襲から守る役割を果たしている。でも、1年中たくさんの登山客が来る憩いの場でもある。
これが反対側の果川市から見た冠岳山。実は、果川市は、私が踊りを習っていたところである。
つまり、1年間のこの山にずっと見守られていたのだ。
帰国前日は、ばたばた用事を片づける合間に、H先生に会いに行った。
前にも書いたと思うが、H先生は、私と同じように米国から訪問研究に来て韓先生に誘われて踊りにはまってしまった1号である。私が踊りを始める頃帰国されたのだが、半年後に文字通り「舞い戻って」、さらに半年滞在されている。
いろいろな事情で結局一緒にレッスンを受けたのは数えるほどだったのだが、日本語を流暢に話されるので、先生や仲間の話を通訳していただいたのが大変ありがたかった。どうもいつもついつい甘えてしまってすみませんでした。
彼女の専門は植民時代の日本語の文学で、韓国や日本にいてはかえって研究しにくいことを米国で客観的な立場から研究されていて、これからの発展が楽しみである。これから踊りの研究もされるかな?いずれにしても、不思議な縁で長いつきあいになりそうである。
日曜日は、まずリサーチアシスタントを1年間やってくれたイ・ドクチョン君とヨイドにあるメキシコ料理屋で食事をした。私は韓国に来て韓国料理はおいしいと思うのだがその他の国の料理はあまり感心しない場合が多かったのだが、このメキシコ料理は文句なくおいしかった。
リサーチ・アシスタントの二人は、日本語がうまいだけでなく、大変頭がよく、気の良い方々だった。ただ、日本に長年いてそのテンポに慣れている人とは違って、あくまで韓国のリズムなので、そこが日本人の仕事の感覚と合わなくてちょっと疲れたが・・・ま、韓国らしく、最後にはなんとか辻褄が合った。特に、辻褄を合せるときのドクチョン君のパワーは凄かった。途中、ずいぶんハラハラしたことは忘れよう。君なら会社でも立派にやれるよ。
夜は、大学院の後輩であり友達であるコォンさんとその奥様と食事をした。
昔彼が私のいた研究室に入ってきたとき、自分の趣味や興味を追求する姿(要するにオタク)に、私の韓国人のイメージがずいぶん変わったものである。というのは、それまで私の知っていた韓国からの留学生は国や大企業から派遣されていて、非常にきまじめな感じの人ばかりだったからである。それから10数年経って、年をとっても、忙しくても、オタクなところはちっとも変わっていなかった。お互い様かもしれないが。
いろいろありがとう。これからもよろしく。
最後の週末は、まず、お世話になったソウル大学日本研究所所長の韓先生のご自宅を訪問した。
昼食をということだったが、着くなり話し込んでしまい、食べたの3時頃。何を話し込んだかということ、やはり踊りの話である。
韓先生は長年の夢だった伝統舞踊をチョン・ジュミ先生の元で16年前始められた。最初の頃は純粋な楽しみで、ご自身の研究分野である社会学にリンクさせることはなかったそうだが、最近は、踊りの社会的構成のような研究をされている。日本にもたびたびいらして、在日の舞踊家のインタビューもされている。
実は私も日本に帰ったら、踊りそのものの研究ではないが、踊りを研究フィールドの一つにすることをもくろんでいる。一緒に何かおもしろいことができたらよいですね、という話になった。時々、ちゃんと練習しているかチェックしに行きますよ、と言われた。さぼっているとすぐばれてしまいそうだ・・・
夜は、3次元CAD関係の共同研究者のイム・チェソン先生、日本にいらしたころから存じ上げているイ・ヒョンオ先生、やはり日本に留学されていたハン先生の3人と食事をした。以前なら考えられなかったことだが、最近はすっかり開き直っているので、自分の踊りの動画と写真を3人にお見せしたら、大好評であった。
韓国人であっても自国の伝統舞踊を身近に接しているとは限らないようだ。サムリノリをされているイム先生はさすがにある程度ご存じであったが、イ先生は見たのもまったく初めてという感じだった。でも、日本人がこれだけ韓国の伝統文化にはまったのが嬉しいという感じで、話は大盛り上がりだった。
韓国は何と言っても市場が小さいので、芸術や伝統文化が健全に発展していくには、海外にも目を向ける必要がある、という経営学者の集まりらしい話になった。日本は、現在の韓国よりは文化的、芸術的なものに支出する余裕がある上に、もともと文化的共通点が多く本質的に受容されやすいので、よい市場であるはずである。ドラマなんかより、もっと本格的な韓流だ。
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