February 2008
2008.02.29
2008.02.28
発表会の打ち上げ
発表会の後、グループレッスンを一緒に受けているチームで打ち上げに行った。
打ち上げと言っても年齢は40代から50代の女性ばかり、お酒はちょっと、食べ物はしっかり、おしゃべりはたくさん、あまり遅くはならないという会である。
小学校の先生2人と幼稚園の経営者、大学の先生2人という構成で、H先生以外は夫持ち、子供持ち。(学校の先生と経営者という職業は、このチームに限らずこの教室の生徒に非常に多い。見渡すかぎり先生だらけである。)
話すことは踊りの話よりも、子供の話とか、健康の話とか、夫の悪口(というほどでもないが)とか。
この日は私の最後の日なので、皆さんプライベートな少しまじめな話もしてくれた。職業を持っているだけでなく、老人介護や家族の病気などハードな生活を背負っていらっしゃる方が少なくないのを知った。普段はそんなことをまったく感じさせない明るさとバイタリティで、本当に頭が下がる。
そして、何よりこのチームの皆さんは本当に優しくて、私は言葉は通じなくてもいつも受け入れられていると感じることができ、とてもリラックスして過ごせた。
明るく優しい中高年女性は、人類の宝だとまじめに思う。
発表会の日のこと2
会場は地域の文化センターのスタジオで、結構な広さがある。お客さんは、ほとんど出演者の家族、友達、今回出演しない教室の方々。夕方ちょっと早めの時間に始まるので、勤め人に来ていただくのは無理があったのだが、私の友達が一人仕事を抜け出して来てくれてうれしかった。
最初の演目は、女性3人による三鼓舞。スタイルがよい3人の息がぴったり合っていた。
次の演目は、韓米日の女性大学教授3人(つまり、私のいる研究所の所長の韓先生とH先生と私)による才人庁基本舞クッコリチュム。韓先生の衣装は、なんと前の演目の途中で届いたのだが、全然動じておられなかったところがさすが。韓先生は踊りを始めて16年のベテランであり、格が全然違う。H先生は、訪問研究にきて韓先生に誘われ思いがけず踊りにはまってしまった一号で、私は二号。
才人庁基本舞は、単なる練習用の舞ではなく、それ自体の芸術性がとても高く、毎日踊っても新しい発見がある。私は大好きである。本番でも、丁寧に心をこめて踊れたと思う。この曲が終ったとき、見ている方がわっと暖かい拍手を送ってくださったことがことが、その後のはずみになった。
引き続き、私がアリランのソロを踊る。古典と違ってさほど難しくないはずなのに、私にはなぜだか少し苦手意識がある。でも、会場の雰囲気にのせられて初めてひとりで踊るという重圧を乗り越えることができた。
その次は、教室のベテラン弟子の方々による扇散調(プッチェサンジョ)。これは、宮廷の扇舞とは全然違い、日本舞踊テイストのある粋な楽しい踊りである。でも、とても難度が高いと思う。いつか踊ってみたい。ベテランの方々の中でも、韓先生が一番光っていたというのは、私のいるチームの一致した意見だった。
次に、私のいるチームによる、立舞(イプチュム)。これは12月の発表会で私が2度頭が真っ白になった曲。そのときは、チームの人が急に参加できなくなって急遽ベテランの方に入っていただいたりしたのだが、今日は全員揃って息もぴったりだった。チームの打ち上げのとき、これで引っかかっていたものがすっきりしたと皆晴れ晴れとした顔だった。
この曲は、星州プリという南道民謡にのって踊る。プリだから、恨を解き放つ曲だ。いろいろな想いをごおーっと包み込んでそれを開放していくという表現ができたかどうかは疑問だが、そういう気持ちで踊った。
その後、小中学生による晋州剣舞。少女らしいしなやかな動きでういういしい。音楽も素敵。
最後が私の晋州教坊クッコリチュム。風の音、土のにおい、青い空、流れる水の音が聞こえてくるような曲だ。仕上がったのが1週間前で特に後半は十分な動きができたとは思えないが、もうそんなことは関係ない。観客が集中して私の踊りを見てくれているのを感じ、エネルギーが体の底から湧き出てくる。こんな体験は初めてである。
後日、韓先生の家に伺ったときに、でももう少し楽しそうな顔で踊ればよいのに、と言われた。そこで、私は大きな勘違いをしていたことに気づいた。自然と触れ合う曲だということはわかっていたが、歌声と演奏が重々しいので、もう少し壮重に踊るものだと思っていたのだ。歌詞の内容をそのとき初めてきくと、春の陽気に誘われて楽しく野山を散歩してまわるような内容だった。次はもっと楽しそうな顔で踊ります。
発表会の日のこと1
まだうまく書ける気がしないが、踊りの歓送発表会の日にあったことを書いておこうと思う。
当日は、まず、アメリカの大学から私と同じようにソウル大学に訪問研究に来ているH先生と待ち合わせて、美容室に行き、韓国式の髷を結ってもらった。本来は真ん中わけにして固めるそうだが、きょうびはそんなことをする必要はないそうで、自然なわけ目にしてもらった。H先生が結ってもらっている間に、横でメイク。化粧を濃くするように言われていたので、自分なりに濃く。
美容室の待ち時間中に、発表会の最後にやる挨拶の原稿の校閲をH先生にしてもらった。一応、家で読む練習をしてきたのだが、直しが入ってちゃんと読めるか心配。伝わるだろうか?
人より早めに舞踊室に行くと師匠が待っていてくれた。手伝っていただいて衣装に着替え、軽く練習。
衣装の韓服(チマ・チョゴリ)がとどいたのは前日夜で、ちゃんとした韓服を着て踊るのは今回が初めて。予想はしていたがここで問題が。チマの裾さばきが練習服とは全然違うのだ。昨晩一応持って帰って朝にも練習してきたのだが、どうやったら速い動きのときチマが足にからまないですむのか、どの程度たくしあげたらきれいに見えるのか、丁寧に検討する時間などない。危ないところを覚えておいて、多めにたくしあげたり、少しゆっくり目に動こうと、自分に言い聞かせる。
結果から言うと、本番では踊った4曲のうち、一番難しい最後の1曲の一番からみやすいところはやはりひっかかった。まあ、初めてにしてはよくやったほうかも。
でも、韓服を着てよかったと本当に思う。ひとつは気持ちが全然違うということと、もうひとつは、なぜこの動きがこうなるのか韓服を着て初めてわかったというところがたくさんあったことだ。例えば、師匠はいつも、足を大きく一歩下げるとき、足を外側に軽く蹴るように回して踏み込んでいて、ああかっこいいなあと思っていたのだが、見かけの問題だけでなく、チマの裾を捌くという実用的な意味があったのである。
そのうち群舞を踊る子供たちがやってきたりしてばたばたしてきたので、H先生と会場へ。会場は歩いて5分ぐらいのところだが、雪が残っている道をチマを思いっきりたくしあげ、ダウンコートをはおり、ブーツを履いて移動する姿は人にはちょっと見てほしくない姿だった・・・
2008.02.27
心が伝わる共鳴する
踊りの歓送発表会が終わって丸二日たってこの記事を書こうとしているが、まだ余韻が生々しすぎて上手く言葉にすることができない。
踊り始めた時、この1年間の特別な時間と、特別な空気、特別な出会いを想って、ただ丁寧に感謝をこめて踊ろうと思った。1曲目が終わって、見ている人々が一瞬息を止めて、わあっと歓声をあげてくれたときに、その気持ちが伝わったのがわかった。そのエネルギーが私の中にすーっと入ってきて、次の1曲、その次の1曲と進むたびに見ている人、一緒に踊る人と共鳴するようにどんどん心が大きくゆさぶられ、最後のソロでは、周囲からもらったエネルギーが体中に満ちて、それに突き動かされるように踊っていた。
踊りが終わった後の話で、師匠は、最初私が来たときには言葉も通じなくてどうしようかと思ったが、ちゃんと通じた。心が通じていなければこんな踊りはできません、とおっしゃった(と通訳してもらった)。子供たちが、かわいい日本語で、すごく良かったと言いにきてくれた。皆さんから暖かい言葉をたくさんいただいた。
最後まで私の勉強不足で言葉は大して通じないままで申し訳なかったけれど、皆さんの心は本当に届いていましたよ。
2008.02.25
才人庁舞踊(韓国の伝統舞踊)日本語ホームぺージ
私が習っている韓国の伝統舞踊、才人庁舞踊(ジェインチョンチュム)を多くの方に知っていただきたくて、才人庁伝統舞踊伝承会から資料をいただき、日本語訳してホームページをつくりました。
私は韓国語初級者なので、一応日本語の上手な韓国出身の方のチェックは受けましたが、翻訳に誤りがあるかもしれません。なにせ韓国人でも普通は知らない歴史用語や芸能用語がたくさんでてきますし・・・。でも、大意としては間違っていないと思います。
写真もたくさん載せているので、ご興味のある方はぜひご覧ください。
2008.02.24
踊りのいろは
歓送発表会を前にした週末、たぶん最後の個人授業で、踊りの師匠が私に教えてくださったことを、先生が使われた韓国語での表現も併せて書いておこうと思う。内容は、踊りのいろはのようなことである。
***
踊りにおいて大切なことは、踊りの順序(순서)ではなくて、いかにこなれたものしていくか(다듬다)磨き上げるか(연마하다)である。
踊りの流れでは、呼吸を伴って強弱(강약)をつけるが、節目節目の動作の開始(시작)は、普通はかなり強い강である。ここには、奮(분)がきて、踊りの中で目玉になる場面(눈대묵)、核心(핵심)となる。
- 눈대묵にはいろいろバリエーションがあって、(開始の部分は通常はふんばり、2拍めで重心を下げるが)裏返って(뒤집다)1拍目で重心を下げるのが으덩。こういう動作に妙味(묘미)がでる。
- 晋州教坊クッコリチュムの場合、音楽に엇박(いわゆる弱起)が使われていて、自由奔放(자유분방)な感じを出している。시작の冒頭で一瞬ためる呼吸が大事。
시작の次に弱(약)の中間(중간)の部分が続くが、ここでは雰囲気(분위기)を出す。
動作が流れるように変化する部分は다르르르르となめらかにつなぐが、これを이음새という。
次の踊りの節目に移る前に締めくくり(맺다)仕上げ(마무리)をおこなう。ここを丁寧に納めて次につなげること。
- 基本舞で最後に左回りに回るのは、自然へ帰ること(자연으로 돌아간다)、回帰(회귀)を表している。
***
韓国語初級者の私がこんな高度な言葉をそのまま理解できるはずもなく、実際には踊りを中断して師匠が紙に書いてくださるのを私が辞書で調べて理解している。当然すごく時間がかかるわけで、この日は、昼食にウルミョン(あんかけ麵?)の出前をとっていただいたのだが、あまりにも出前が早く来すぎて、レッスンがひと段落ついて二人で食べ始めたときには、麺がすっかりのびてしまっていた。きっとあのときのウルミョンの味はいつまでも忘れないだろう。
2008.02.22
おばさんナイト
私が帰国する前に、伝統舞踊の教室で私の送別発表会を開いてくださることになっている。
私は何と4曲踊るのだ。最後に一人で踊る結構難しい踊りは発表会の1週間前にやっと最後まで終わるという状態で、韓国に来て気合い勝負なのにはだいぶ慣れてきたとは言え、これはおそらく今回最大の大胆なイベントである。本当にどうなることやら。
衣装も今回はちゃんと韓服をつくろうという話は前から出ていたのだが、話はすすまないまま旧正月も明け、これは間に合わないから練習服になるだろうと思っていたら、さにあらず。こちらではオーダーメードの韓服が1週間でできあがってくるのだ。発表会の8日前に注文して、5日後に仮縫い、前日にできあがってくるという。さすがだ。
というわけで、先日、教室の同じチームの方々と夜のレッスンの前に急遽韓服の注文をした。デザイナーが来て、生地見本を見て、色と形を決めるのだが、これがなかなかおもしろかった。
私のいるチームは、40代、50代の皆仕事を持っている女性で、いつもは大変落ち着いた雰囲気で優しい方ばかりなのだが、やはり服のオーダーメードとなると、これがよいか、あれがよいかと、皆目の色が変わる。まあこういうとき必死になるのは、どこの国でも女性として当然だ。
チームでチマの色を揃えるという話になっていて、この色だなと思っていると、話が漂流して突然全然違う色になっていたりして、本当にばたばたであったが、最終的には私としては満足できるところに落ち着いて良かった。値段を聞くと、予想の半分ぐらいで、おそらく街中でオーダーするよりだいぶ安いと思う。韓服用の下着一式もおまけでついてくるという。
ところで、おもしろかったのは実はそれからである。注文が終わって、いつもより遅く皆は練習を始めたのだが先生がなかなかいらっしゃらない。やがて先生が憮然として出てきて、何やら話し始め、途端に教室の雰囲気が今まで一度もない程とげとげしいものになった。
通訳してもらうと、こういう話であった。値段がどうも安いので、先生がこれはヨウコサン(私)が日本に持って帰るものなのだから、ちゃんと作ってねと繰り返し念を押したくれたらしい。すると、デザイナーが急に慌て出し、この値段で作るのだから安い縫製に出そうと思っていた、ちゃんと作るのならばこの値段ではできない、5万ウォン(6000円ぐらい)値上げして欲しいと言い出した。先生も皆も、一度そちらから言った値段なのだし、そもそも悪い品質のものでよいと思っていたのかと、かなり気分を悪くしたという次第である。
私としてはそのぐらいの値段の差ならば縫製が良い方がよいし、皆もそう思ったと思うが、そのままでは収まらないのが面目躍如なところである。皆簡単には引き下がらず、それならば他にちゃんとサービスしてよと要求が出始めた。ノリゲ(装飾品)でもつけてね。いや、安物のノリゲは嫌だから、他のものがいいわ。あなたの誠意をちゃんとみせてちょうだい。という感じでおばさん軍団の迫力に押されて、デザイナーの若い女性は何だか泣き出しそうな顔であった。
さてどんなおまけがついてくるでしょう。楽しみである。
ちなみに、これは地元の商店街の韓服屋さんで自分で買ってみたノリゲ。
単色のシンプルなものにしようかとも思ったが、いろいろな色が入っているとどんな色にも合わせやすくてお得ですよ、という店の人の言葉におばさんらしく乗ってしまった。
2008.02.20
飲みながらインタビュー
今日は建国大学のイム教授と金型業者に会いに行った。仁川の奥の方でソウルから1時間半以上、しかも夜相手が会社から出てくるまで長々と待って、酒を飲みながらインタビューであった。
インタビュー相手は韓国語と日本語可、イム教授は韓国語と英語可、私は日本語と英語可(大したことないけど)という3すくみ(?)で、誰かが何かを話すともう一人に説明しなくてはならないので結構ややこしかったのもあったが、ここのところスケジュールがハードなので、酒が入りながらのインタビューはなかなかきつく、集中力が続かなかった。この国ではこれを気合いでなんとか乗り切るぐらいじゃなきゃだめだなあ。
2008.02.19
Meyrowitz, J. 「場所感の喪失」上
Meyrowitz, J. "No Sense of Place: The Impact of Electronic Media on Social Behavior," Oxford Univ. Press, 1985.
(邦訳:安川一・高山啓子・上谷香陽訳「場所感の喪失」上)
邦訳の下巻はまだ出ていないようだが(原著も読んでいないが)、おそらく上巻に主要な主張はだいたい含まれていると思う。
電子メディア(といっても1980年代前半であるから主にテレビ)の社会的なインパクトを、人々は状況に応じて役割を演じ分けるのだというゴフマンの理論を主に援用しつつ分析している。この本の出版当時の状況よりも、むしろインターネットの普及した現在こそ、この観点は大きな意味を持っている。
状況というとき通常想定する、物理的な空間に結びついた対面的な環境ではなく、相手の行動を判断し、相手に自分の行動を判断してもらうための社会的情報の流れる範囲を状況と定義していることから非常に今日的である。著者は、電子メディア(主にテレビ)には
・従来は年齢、性別、職業、階級等で分断されていた人々が同じ情報を共有するようになる。
・メッセージがフォーマルで非個人的な情報からインフォーマルで個人的な情報へ変移する。
・意図的な伝達を目的とした言語やシンボルによるコミュニケーションより、人々が環境に居るだけで生まれる身振り、信号、発声、徴表、動作である「表出」の比重が増える。
・物理的な場所と社会的な場所(上で述べた「状況」)の分離が顕著になる。
といった性質があり、(情報共有によって集団間の差異について意識が高まるため)マイノリティ集団の勢力増大、国際人権団体や環境団体など場所なきところからの視界を持つ新しいタイプの集団の成長、地域性の希薄化、社会化の段階のくずれ(成員予備軍と成員の間の対等化)、権威の喪失などの社会的な影響をもたらしたと分析している。
インターネットはテレビよりもかなり使い方に多様性があるメディアなので、公的な情報共有と特定グループ内での情報共有、フォーマルとインフォーマル、意図的な伝達と表出については両方を強化することができるため、そのインパクトは個々には一概には言えない。しかし、大きな視点でみれば、情報は広く共有される方向へ、インフォーマルな情報が広まる方向へ、意図的な伝達だけでなく表出が伝えられる方向に変化していると言えるだろう。
もっと理論的な深化が期待されるのは、物理的な場所と社会的な場所の分離についてである。ネットが地理的、物理的な制約を取り外したということはよく言うが、そうではなくて、確かに社会的な場所が物理的な場所とずれてしまったのだと考えるほうが理論的に実りがある。
インフォーマル、表出メッセージのインパクトについても、まだまだ研究が足りない。かつてインフォーマルだったものが世の中に喜んでさらされるようになったものの典型はブログであるが、普通の人の日記を世界中の人が喜んで読むようになるなど、インターネット以前に誰が考えただろうか。携帯メールのトラフィックのかなりの部分は意図の伝達というよりも表出メッセージであるに違いない。
ところで、レビューはしなかったがちょうど少し前にゴフマンの本を読んでいて、前回レビューした主観と客観の分離バイアスがかなり強いところがちょっと気になっていた。他人に対してある印象を与えるために人はかなりの努力をして舞台装置を設定し、役割を演じているという世界は、まさに分割不能な実体としての個とそれを外から捉える視点から成り立っている。村上氏の言うとおり、主観と客観を分けて考える伝統があるからこそ、公的・私的、個人的・非個人的、フォーマル・インフォーマルという分け方も成り立つのである。このあたり、文化差もでるであろうし、ひょっとすると、主観と客観の分離そのものにも電子メディアは影響を与えているかもしれない。ネットの住民が時として驚くほど柔らかな個の形、連帯の形を見せるのを見ていると何かがそこにあるような気がしている。
2008.02.14
村上陽一郎「近代科学を超えて」
村上陽一郎「近代科学を超えて」講談社学術文庫、1986年.
1970年代初めの論文をまとめたものだが、今読んでも古びていない。ということは、近代科学が本質的に抱える問題点はいまだに解消されていないということだ。
これも何も新しい話ではないが、社会科学では自然科学に倣った実証主義批判がずっと根強くある。実証主義をどう定義するかに大きく依ると思うのだが、私はこの本を読んで、固い要素還元主義こそが批判されるべきなのだなと改めて思った。
世の中のすべてのものが原子(最近は素粒子、さらにヒモ?)のような要素とその相互関係のみに分解できるというのは、村上氏が指摘するように、西洋の長い歴史的背景に根付いた強力なバイアスなのである。自然科学でさえそのバイアスによる限界に突き当たっているのだから、社会科学はなおさら固い要素還元主義に対して斜に構えていなければならない。
私が「固い」という形容詞をつけるのは、思考の一つの手法として、要素還元的な発想をし、そのように表現してみるのは悪くはないと思っているからだ。このバイアスがニュートン力学をはじめ数々の成果を上げてきたのは確かであるし、いまや高等教育を受けた世界中の人がこのバイアスになじんでいるのであるから何よりコミュニケーションしやすい。しかし、あくまでそのように考えみたり、そのように表現した方が人に伝わりやすいときの一つの手段として、である。
東洋的な世界観が西洋的なバイアスに行き詰った科学に進化をもたらす可能性があるとみる著者のビジョンもいまだに有効だと思う。いくら高等教育で西洋的なバイアスに基づいた世界観を叩き込まれても、東洋の人々は要素還元的で主観と客観をはっきり分離する考え方とはどこか違う世界観を持っている。ここでいう東洋がどこからどこまでを差すのかははっきりとわからないし、もちろん大きな多様性があるだろう。しかし、韓国にいて日本と韓国の違いや共通点にいろいろ実際に触れていると、やはりはっきりとはわからないが何か大きな共通した流れがそこにあることを感じる。
2008.02.09
2008.02.06
退歩
今日は旧暦の大みそかで、今日から3日間は祝日である。1月1日も祝日だがあまり正月気分がなかったのに対し、今はちょうど日本の三が日のような雰囲気で、店はだいたい閉まり、大きな箱入りのみやげを持ってお年始に親戚の家などに行く人々をたくさん見かけた。
さて、旧正月には普通学校も教室も休みだが、今日も伝統舞踊の個人授業をしっかりやっていただいた。あさってもやるとのこと。先生も家庭があるのに誠にありがたいことである。
祝日で先生にも気分の余裕があったので、辞書を引き引き、片言会話で今日はいろいろ話をすることができた。
印象的だったのは、退歩という言葉であった。
踊りの道は前に進むことは10%ぐらいで、大部分は途中下車をする旅だ。踊りというものは毎日毎日違う。人に教えていても、観客の前で踊っていても、自分の内なるエネルギーと人からもらうエネルギーによって踊りは常に変わっていく。毎回新しい発見がある。それは、進歩というよりも退歩である。
本当の片言で話しているので不正確だと思うが、このような話であった。確かに初心者でも、同じ踊りを踊っていても毎日違う感覚があるのがわかる。踊りに体調とか心理状態とかその場の雰囲気が反映されるのである。観客とエネルギーをやりとりするような域にはほど遠いが、公演を見ていると人に感動を与える踊り手はそれを成立させていることがわかる。
師匠が踊りを舞踊界のものにせず、広く人々に接してもらいたいと考え、実際に老人が楽しく踊れる踊りを開発したり、踊りの基本動作を体験してもらいつつ文化を語る一般向けの講演を熱心にされているのも、普通の人々のエネルギーを引き出し、また自分の糧にする踊りの力を知っているからに違いない。それは、特定の方向性のある進歩ではなく、立ち止まり、深め、広げていく歩みである。
今は、普通の人が伝統舞踊に接する機会が少ないのが問題だと師匠は言う。確かに、踊りの公演に行っても一目で舞踊界の人とわかる人ばかりで、見る人が限られているのを感じる。日本の歌舞伎や能、狂言などは、一般に広く親しまれているかどうかは別として、少なくとも常連客という層があるというだけでも韓国よりは状況がよいかもしれない。常連客という韓国語を辞書で調べて師匠に見せたら、そうそう、それが欲しいの、良い言葉ですね、とおっしゃっていた。
踊りの習得過程は2段階(もっと先があるかもしれないが、とりあえず)あって、第1段階は一通りちゃんと踊ること、第2段階は、もっと自由に、深い味を出して、エネルギーを自然な動作に変えて踊ることであるという話も出た。今日は、そろそろ第2段階に入りなさいと言われたが、うーむ、後4週間でその入口にすら行けるかどうかわからない。
















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