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September 2007

2007.09.21

友野典男「行動経済学」

友野典男「行動経済学」光文社新書, 2006年

経済学部の学部生は是非一読を。

学部の時は心理学専攻だった私は、経済学の基礎を勉強し始める時、え、ええー、人間の行動についてこんな仮定をしていいのかいな、と違和感を感じることが多々あったのを思い出す。

経済学の枠組みの中で、心理学や認知科学、大脳生理学の研究成果を取りこんで行こうとしているのが行動経済学である。まだ、個別の関数の修正の段階で、経済学の理論体系を大きく変える段階にはなっていないようだが、当然の来るべきトレンドだと思う。

詳しい内容は本書を読んで欲しいが、自分のためのメモをいくつか残しておく。

・リスクが中高程度のときは人間は利得に対してははリスク回避的、損失に対してはリスク追求的になり、リスクが低いときは利得に対してはリスク追求的、損失に対してはリスク回避になるという実験結果。

私の所属する大学院は、環境問題に関するリスクマネジメントの研究が盛んなところだが、この結果は非常に役に立つのではないだろうか。

・合理的意志決定では成り立たない協力ゲームが現実に生じているいくつもの理由。

-他人が全体へ貢献しているのを見ると自分も貢献する傾向。ただし、平均額よりやや少ない目の貢献をする。(だから、繰り返しゲームでは徐々に協力関係が衰退する現象が見られる。)

-他人が自分を信頼しているのを感じると自分もそれに応えようとする傾向。フェアの感覚や、感情面も含めた復讐への恐れ。

-自分の直接の利得に結びつかなくても裏切り者には処罰をおこなう。

・処罰も合理的(経済人的)には説明できない効果を生むことがある。遅刻に罰金を科したら遅刻が増加したばかりか、罰金廃止後も遅刻は高水準のままであった。

これは、外発的動機づけが内発的動機づけを損なうという心理学では有名な理論である。

・利得への期待(決定効用)と、利得を得たことによる経験効用では、脳の違う場所が活性化する。また、損失を感じる場所も異なる。

この問題に限らず、概念的には一直線にあるものが、脳の違う場所によって処理されているということはたくさんあり、これが心理的なさまざまな現象のかなり部分を説明していくことになるだろう。まだまだ未解明な分野である。

・感情によって全体的に合理的な選択を促す場合がある。相手の感情が損なわれるのを予期して、短期的に合理的な選択をしないなど。

・ソマティック・マーカー仮説。意思決定するときには、身体感覚が重要な役割を果たす。

人間が生きていくために合理的な感情的な反応は、生理面と文化面の進化的な淘汰によって生まれてきた面が強いだろう。もちろん、現代の状況に合わないものも多く、感情が合理的な選択を阻害する場合もたくさんあるが。

身体的な感覚については、これが何なのか非常に知りたいところである。暗黙知と言ってしまってよいものなのか、もっと幅広いものなのか。いずれにせよ、身体的な感覚や感情と頭で考えることのキャッチボールが、良い意志決定を生むのだろう。

・人間は、裏切り者を正確に見分ける能力がある。

北海道大学の山岸先生らの研究成果だが、顔を見ただけでかなりの確率で言い当てられるんだそうである。これはおもしろい!

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2007.09.20

梅田望夫「ウェブ進化論」

梅田望夫「ウェブ進化論」ちくま新書,2006年

去年話題になった本を今頃読んだ。

本書で一番大事な概念は、ネットの「こちら側」と「あちら側」だと思う。

ネットのあちら側にある情報、つまり、世界中を覆うネットで連結された巨大な一つのデータベースを、ユーザーが、やはりネットのあちら側にあるシステムを使って利用する、というトレンドは、なるほどまだまだ新しい可能性がたくさんあり、楽しみな分野である。

しかし、ユーザーがどこまで受動的になりうるかに注意しなくてはならないと思う。

Web2.0の著者の定義「ネット上の不特定多数の人々(や企業)を受動的なサービス享受者ではなく能動的な表現者として積極的に認めて巻き込んでいくための技術やサービス開発姿勢」は、一見、一般ユーザーを能動的に活動する存在として見ているようにだが、個々のユーザーの活動が結果的にネットのあちら側のデータベースの充実に貢献しているということであり、ユーザーはますます与えられたサービスをただ利用しているだけの受動的な存在になる可能性が否定できない。

われわれのものの見方や行動が知らず知らずのうちにネットのあちら側に用意されたシステムによってコントロールされてしまう。非常に分散したネットワークをうまく利用するテクノロジーの出現は、集中処理型コンピュータ・ネットワークよりも偏在性と頑健性があるだけ余計に怖い側面があることを忘れてはならないと思う。

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2007.09.19

フィガロの結婚

ソウルに小澤征爾指揮ウィーン国立歌劇場「フィガロの結婚」が来たので見に行った。舞台装置がなく、オーケストラとキャストが同じ舞台に上がるのだが、演技が簡略化されている以外は3時間以上ほとんどフルで演奏していた。

いつもは割と良い席をとるのだが、今回は一番良い席は45万ウォンで6万円近くし、ちょっときつかったので、中間ぐらいの値段の席にとっていた。席の位置はそんなに悪くなかったのだが、誤算が一つあった。周りのマナーが悪いのだ。

演奏が始まっているのに後からぞろぞろ入ってくる、演奏中に隣りと話す、両隣のおばちゃんたちが演奏中にかばんから何やらごそごそ取り出して食べたり飲んだりし出したときには、さすがに怒ろうかと思った・・・

しかし、途中の休憩時間に、おばちゃんたちの集団は忽然と消え失せていた。あきらかに退屈した様子だったのでいやになって帰ったのかもしれないが、もうこれで終わりだと思った可能性も高い。うふふ。

おかげで後半はすがすがしい気持ちで聴くことができた。演奏は、詳しいわけではないのだが、さすがにうまかった。安心して聴いていられた。生の小澤征爾氏は初めてだったが、これで最後になるかもしれないなあ。

ちなみに、ソウルはクラシック鑑賞の穴場だと思う。チケットの相場がやや安く、何より東京のように混まない。私が時々行く国立のその名も「芸術の殿堂」は、広い敷地にコンサートホール、オペラハウス、美術館、レストランなどがあって、夕方ちょっと思いついて行って、夜のコンサートの当日券を買い、美術館を見たり食事をして時間をつぶす、といった優雅ことができる。

クラシックコンサートなのに「ひゅーひゅー」と言ったり、楽章の間に拍手をしたり、まだ聴衆のマナーは十分定着していないが、まあ今日みたいにひどいことは今まではなかった。まだ慣れていないという感じなのだろう。

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2007.09.18

共同研究者来韓2日目

今日は、あいにくの天気ではあったが、昨日すっぽかされたインターネット広告関係者のインタビュー、コミュニティサイトの一般ユーザーのインタビュー、コミュニティサイト事業者のインタビューと無事にこなすことができた。よかった、よかった。

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2007.09.17

共同研究者来韓

今日は、ネット・コミュニティ関係の研究の共同研究者である森田正隆さんと一緒にフィールドを回る第1日目。韓国的な不確実性に見舞われて、午前も午後も本来目的の成果はさんざんで、(私は慣れてきたけど)森田さんには申し訳なかったが、観光旅行とは違うソウルの雰囲気を少しでも味わっていただけたなら幸いである。

私には、意外と普段はできない、ゆっくりとしたディスカッションをさせていただいたことが収穫だった。

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2007.09.16

石井淳蔵・水越康介編「仮想経験のデザイン」

石井淳蔵・水越康介編「仮想経験のデザイン」有斐閣, 2006年

本書は以前簡単に紹介したことがあったが、また改めて読み直したのでもう少し詳しくレビューしてみたい。

この一連の研究の焦点は、

・コミュニティのへの参加が必然的な外部の力によるものではなく、参加者の恣意的な選択に任され(偶有的)、そして関係が続いていることだけが次なる関係を基礎づける、ギデンズのいう「純粋コミュニティ」

・異質性の高いメンバーが弱い紐帯でつながり、一般互酬性、一般信頼性の高い「橋渡し型コミュニティ」。反対概念は「結束型コミュニティ」(パットナムの橋渡し型社会関係資本と結束型社会関係資本に対応。)

としてのバーチャル・コミュニティである。(なお、両者の関係は深いがイコールではないことに留意が必要である。)

ネット上のコミュニティがこのような成分を多く持つ傾向にあり、外部の強制力によるもの、あるいは結束型のコミュニティに比べてその存続には脆弱性のあるため、その存続に何らかの条件や仕掛けが必要である、というのが本書の視点である。

ネット上のコミュニティは長い時間をかけて自然に形成されたコミュニティではなく、人為的に与えられた、ある程度操作可能な環境下にあるということも、存続の条件や仕掛けを特に意識しなくてはならない原因になっており、だからこそ、社会科学的にネット上のコミュニティは研究対象としておもしろいのである。これは一種の社会実験であるからである。

さて、本書にはその仕掛けとして、次のようなものが挙げられているように思う。(多数の著者がいろいろな観点から書いている本であるので、整理の仕方には私の判断や解釈が入っている。)

<コミュニケーションの無秩序化を防ぐしかけ>

・主催者などが登場しコミュニケーションをコントロールする(階層性)。ただし、強い階層性は異質性を損なうおそれがある。

・コミュニティの価値の明示化によるコミュニケーションの自己修正

・ユーザーの教育(ヘルプや注意書き、監視)

<コミュニケーションを促進する>

・相手の反応の可視化。他人とつながっているという感覚を与える。(コメント、足跡、Web拍手)

・他者とのコミュニケーションしたいという信号を送る(コメントからのリンク、他人とコミュニケーションする道具としてのアバター)

・自分はどんな人物か(どんな人物に見られたいか)ということを表現する(アバター、日記)。ただし、自分に関する表現がコミュニケーションにマイナス作用する場合もある。

・匿名性、自己特定情報のコントロール。

・象徴的な交換、ギフト(アバター、デジタルアイテムの贈与、返礼)

<参加インセンティブを高める>

・社会的欲求(所属、承認)を満たす

・自己表現手段を提供(アバター、デジタルアイテム)

・ゲームとしての楽しさ(オンラインゲーム、ネット上でのごっご遊び、アバターによる着せ替え人形)

・経済的な利益(アフィリエイト、コンテンツ連動広告)

・顕示的な消費を促す。(アバター、デジタルアイテム)

<異質性を保護する>

・参加者が自分の主張を表明できる場、しかけをつくる。(各種の情報発信・コメント機能、Web拍手)

もう1つのリサーチクエスチョンは、このように偶有性が高いコミュニティからいかに収益化を得るかというビジネスモデルである。本書では、広告など第三者や他のビジネスから収益を間接的に得る方法以外の、コミュニティ参加者から直接収益を得る方法として、アバターなどのデジタル・アイテムに期待をかけている。

著者らがデジタル・アイテム、特にアバターに注目しているのは、単に直接的な収益源であるからというだけでなく、コミュニケーションの誘発効果や、自己表現手段、参加者間のギフトとしての側面、ゲーム性などによってコミュニティの関係構築に貢献する可能性があるからである。

現状を見ているとアバターにちょっと期待をかけすぎという気はするが、今あるアバターのイメージとは少し違ったかたちでもっと発展する可能性はあると思う。

さて、これらのリサーチ・クエスチョンは研究がなされた時期においては誠に適切であったが、私は、そろそろ、バーチャル・コミュニティから純粋コミュニティや橋渡しコミュニティの成分を抽出するのではなく、強制力のある強い紐帯も含めたその全体像、さらには、ある主体が属しているさまざまなネットワークの一部としてネット・コミュニティが果たしている役割を見てみたいと思っている。

そのように考える背景には、どちらかというと強い紐帯、異質性の少ない関係を反映するSNSや携帯経由のコミュニティの勢力が大きくなってきたことがあるのかもしれない。どうもネットが空間的な間隙をつくり、人間や組織を既存の関係から解き放つ側面が相対的に弱くなってきているのではないか、という危機感を持っている。

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2007.09.15

永田晃也編著「知的財産マネジメント」

永田晃也編著「知的財産マネジメント」中央経済社, 2004年

日本企業の知財マネジメントの現状とその効果を質問紙調査を中心に実証した研究成果である。特に前半部分はロジックと分析の対応のさせ方がわかりやすく、企業対象の量的調査を初めてやってみる学生さんが参考にするのにちょうどよい手本になると思う。

自分のために、いくつかメモを残しておく。

・あまり特許を重視した政策をとるとイノベーションを阻害するのではないかというアンチコモンズの悲劇は、実際には特許を侵害しない技術への変更や仕様の変更が行われている場合が多く、今のところは大丈夫のようである。しかし、他社の特許の存在による新しい技術開発は、自社の研究開発比率に対して影響を及ぼさない。つまり、特許取得競争がかえってイノベーションにプラスに働いているとはいえない。

・特許戦略パターンは、技術のパラダイムの成立後と成立以前では異なる。ドミナントデザインが確立する前は、コア技術を中心に周辺技術を押さえていく戦略が有効であり、確立後は、自社技術を他社の技術動向の中にポジショニングして考える戦略が有効である。

・米国企業は、日本企業に比べて、コア技術を中心に特許を出願していく戦略が顕著である。

私は日本企業が他社の動向にあまりにも左右されすぎる性向があることがイノベーションを阻害しているのではないかという懸念を持っており、この3点はそれに関連している。

・知財部門の活動が技術の特許化、実用化に限定されず製品ライフサイクル全般のプロセスに関与をしている場合にパフォーマンス(新製品割合)が高い。

・米国企業は、日本企業に比べて知財部門の規模が比較的小さいのに関わらず、プロセス全般への関与が高い。

ちょっと気になるのは、知財部門の関わりがどういう内容なのかという点である。各フェーズでどのような役割を果たしているのか、リーダーシップをとったほうが良いのか、悪いのか。

・知財部門に求められる能力として、法務や技術の専門知識よりも、特許化できる技術を見出す力が重視されている。マーケティング・センスはあまり求められていない。

多義性のある技術を特許という明示化された形式に実現する能力する能力というのは、もちろん技術と法律の知識もある程度必要であろうが、概念化とコミュニケーションに関する何か別の能力が求められているのだろう。

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2007.09.14

Burt, R.S.「競争の社会的構造」

Burt, R.S."Structural Holes," Harvard Univ Press,1995.

(安田雪訳「競争の社会的構造」新曜社)

論文の中にネットワークという概念を使っている者には、研究手法がネットワーク分析であってもなくても必読の書である。

さらっと読むには大変読みにくい本なのだが、文章は非常に論理的である。頭脳があまりに論理的すぎて、自然言語としての表現が苦手というタイプの方なのだろう。だから、書かれた論理をきちんと追っていけば理解できる。日本語訳も論理に忠実である。

さて、本書の中心的概念である空間的間隙(Structual Hole)が豊富なネットワークとは要するにスモールワールドである。というよりも、社会学分野ではすでに研究蓄積されていた同概念を数理的に再発見したのがWattsらの業績なのだ。

現象としてはほぼ同じものを扱っているのだが、世界を見る視点としては、スモールワールドと本書は異なっている面がある。乱暴に言うと、広い世界の未知なる領域に短いステップでいきつくにはどうしたらよいのかというのがスモールワールドの世界観だとすると、本書は、張り巡らされたネットワークの中で有利な立ち位置につくにはどうしたらよいか、という観点から世界をみている。

スモールワールドは世界を広げ、ネットワーク全体の付加価値を高めるという点に関心があるとすると、本書の観点はゼロサムゲームである。産業の中で利益(レント)をどのように分け合うか、組織内で誰が出世するか。

この観点の違いが、密接に結合された集団間の架け橋をする人の機能にも影響を与える。本書では、架け橋をする人は、お互いにコンタクトすることが少ない複数集団へのアクセスを自分だけが持っていたら、情報面でも統制面でも非常に有利であることから「利益を得る第三者」である。

多くの異質な集団とコンタクトを持つことの情報面での有利さはわかりやすいと思うが、統制面で有利であるというのは、例えば本書ではBarkeyの研究が挙げられている。近世フランスでは中央政府は地方を中央集権的に管理しようして地元の反乱に苦慮していたが、トルコのスルタンは、地元の有力族長を互いに競争させることによって、紛争の矛先が中央国家に向けられるのを防いでいた。なるほど。

企業家というものは(そもそも語源からして)他者の間に存在することから利益を生み出す人である、というのも慧眼である。空間的間隙が大きい産業は利益率が高い、空間的な間隙の大きいネットワークを持つ人は出世が早い、という分析にも迫力がある。

ちなみに、出世の研究では、女性とあまり地位の高くない男性の出世には、空間的間隙ではなく、強力にサポートしてくれる特定の相手が必要であるが、強力な支援者の存在はある程度地位に上がった後の出世を妨げる、という実証結果は現実味あるだけにちょっと悲しい。(もちろん、個々の状況は多様であるし、社会の構造自体も常に変化していくから、女性や若い人は常にそのようにふるまうべきだと解釈しないほうがよい。)

さて、世界をゼロサムと認識すれば、架け橋をする人は漁夫の利を得る人だが、世界はつながり方次第でその価値をいくらでも増やせるという世界観では、架け橋をする人は、確かに自身も利益を得るだろうが、必ずしも人から何かを奪う人ではない。

実際、人と人と結びつけることに大きなエネルギーを費やす人や組織は、ネットワーク上にもオフライン上にも常にいて、主観的にも客観的にも、その結果増大した価値のすべてをその人たちが取っているのではなく、その一部をもらうことで満足している。

私は、これはある程度人間の本能に組み込まれているのではないかと思っている。協働することで生き残ることを選んだ人類は、人と人、集団と集団を結びつけることで何かが生まれることを本能的に喜ぶのではないか。

ただし、架け橋には、ある程度才能や機能する条件がある。架け橋がうまく機能している個人や組織は、大金持ちになるとは限らないものの、社会から認められ、存続する。個人のレベルではいろいろ大変だけれども幸せな人生を送れるのではないだろうか。

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2007.09.13

仁川南洞金型・自動車部品合同フォーラム

仁川南洞金型・自動車部品合同フォーラムで、3次元CAD関係の発表をした。聴衆はソウル近郊の仁川、富川などの金型、自動車部品製造業の経営者の方々。この地域は、韓国では一番金型や部品の中小サプライヤーが集積している。

韓国に来てから3次元CAD関係の発表はこれで何と5回目だが、実務面から一番熱心に聴いていただいた会であった。何かのお役に立てれば大変うれしい。

ついでに、調査協力依頼をアピールした。アンケート調査、何票戻ってくるかな?

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2007.09.08

Mackay, H., W. Maples and P. Reynolds「入門 情報社会の社会科学」

Mackay, H., W. Maples and P. Reynolds, "Investigating the Information Society," Open University, 2001.

(田畑暁生訳「入門 情報社会の社会科学」NTT出版)

英国オープン・ユニバーシティの教科書である。社会科学の方法論と現在進行中の研究トピックを実作業しながら学んでいく教育方法というのは、私も目指している方向性で、とても共感できる。しかし、思わず先生の立場で、ここまで教員が個人で準備するのはなかなか大変だと思いながら読んだ。チームでやる仕事だろう。

情報社会に関心がなくても、第3章と第4章は社会科学の方法論入門として大変的確かつコンパクトにまとまっているので、おすすめである。英国の教科書なので、実証主義に偏りがちな米国の教科書と比べてもバランスがとれている。分野を問わず、修士の初めの頃や学部の卒論を書き始める直前ぐらいに読むのが良いと思う。

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2007.09.07

ボトルネック

私は外見と実年齢にギャップがあるらしく、15歳の息子がいると言うとどこの国に行ってもびっくりされるが、確実に来るところには来ている・・・・ま、体型のことはともかく、仕事に困るのは・・・

記憶力の減退。

デスクの前の壁に、いろいろなことを忘れないようにメモをはってあるのだが、あるアルファベットと数字の書いてあるポストイットの意味がずっと思い出せなかった。

3か月ぐらいどうしても思い出せないまま、もうはがそうか、いや、何か重要なことだったら、とそのままになっていたが、昨日ラベルの印刷作業をしようとして、やっと解決した。こちらで買ったコンピュータラベルの日本での対応品番(プリンタの設定に必要)だったのだ。

3か月ぶりにメモが役に立った。はがさないでよかった。

老眼の進行。

韓国企業のデータベースからアンケート調査に必要なデータを絞り込んでダウンロードし、最後は一つ一つ業務内容を見てより分けるという、目を酷使する作業をしていたら、眼精疲労でダウンしてしまった。

これはもう老眼鏡を買うしかないのか・・・ああ、なさけない。

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2007.09.03

Rheingold, H. 「新・思考のための道具」

Rheingold, H. "Tools for Thought revised edition," MIT Press, 2000.

(日暮雅通訳 「新・思考のための道具」パーソナル・メディア)

コンピュータとネットワークの歴史についての良書はたくさんあるが、PCが本格的に商用ベースに乗る前までの流れを知るには本書をおすすめしたい。ちょっと読みにくいところが難ではあるが。

コンピュータは単なる計算機ではなく、コミュニケーションの媒体としての性質を持つ、というのは、私自身が経営学の分野でメッセージを発するときの立ち位置であるが、本書を読めば、少なくとも1950年代には、今日のコンピュータやネットワークの基礎を作り上げた人々の頭にすでにあったことがよくわかる。

コンピュータはコミュニケーションの支援のためのツールであるという考え方は、コミュニケーションのかなりの部分をインターネットやケータイに頼っている現在、当たり前のように感じるかもしれないが、コンピュータの原始時代、まだ具体的な道具が何も実現されていない時期にこの発想ができることはすごいことである。

今あるコンピュータ、ネットワーク、ソフトウェアのかたちは、その頃の人々の夢のごく一部が実現したものなのである。そして、現在に至っても、コンピュータのメディアとしての性質がわれわれに何をもたらすのかは、まだわからないことが多い。わからないことばかりと言ってよい。

本書の優れた点の1つは、コンピュータの黎明期への光の当て方である。コンピュータの誕生には、数学と論理学の世界が結びつき、さらにそれを道具として実現する技術が必要であり、19世紀の前半のイギリスでコンピュータの原型ができはじめたのは、ちょうどその頃、理論的な基礎(ブール代数)と技術的基盤(自動織機)が整ったことと無関係ではないようだ。

そして、よく知られているように、第2次世界大戦を契機にその舞台は米国に移り、数多くの卓越した人材が集まり、火花を散らすような相互作用を起こし続けた結果、コンピュータとネットワークは今日のような形になった。人類の最近では最大のイノベーションである。

科学や技術が自律的に発展してある段階になると世界の中の誰かが次のステップを必ず見つけるというものではなく、大きなイノベーションには、それが起こる社会的基盤というものが必要であることがよくわかる。

ところで、本書では、計算機を超えたコンピュータとネットワークの機能として、コミュニケーションの支援に加えて、人間の思考や感性を増幅させる機能をあまりはっきりと区別することなく取り上げている。コミュニケーションの支援機能は、今日、それなりに実現しているが、思考や感性の増幅はまだまだこれからのような気がする。

少なくとも、本書で1章を割いているエキスパートシステムは、有用な分野もあるとは思うが、大きな流れにはなっていないようだ。構造化してあらかじめ仕込んでおくシステムができることはたかが知れているのかもしれない。

新しいあり方がちらりと見えるのは、むしろ、人々がネット上でつながって新しいアイディアやものの見方、創作などがおこなわれる諸現象である。やはり、個人の思考や感性に対する影響に関しても、人と人とコミュニケーションを通じたものが一番インパクトが大きいという気がしている。

また、そもそも思考や感性の増幅を目指すべきなだろうか。そこのところは私自身まだはっきりとはわからない。

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